『ONE PIECE FILM RED』ルフィの勇姿とウタの歌声は映画館でこそ “新時代”の意味を考える

ルフィ×ウタの姿は映画館でこそ

 『ONE PIECE FILM RED』が、この夏、最大級の話題を呼んでいる。3年に1度の映画公開に加えて、原作も大きな節目を迎えて最終章に突入することもあり、多くのファンが詰めかけている。この記事では『ONE PIECE FILM RED』という“宴”が描いた、ウタとルフィの信念から、『ONE PIECE』の原作から一貫して描かれていた自由への思想について考えていきたい。

 本作は国民的人気漫画『ONE PIECE』の映画最新作だ。前作の劇場版『ONE PIECE STAMPEDE』から3年ぶりの公開であると同時に、シリーズには欠かせない重要な人物、赤髪のシャンクスが登場するということもあって、多くのファンが待ち望んだ作品となっている。

 本作の魅力として挙げておきたいのは、なんといっても映画オリジナルキャラクターのウタだ。歌唱シーンでは若手女性シンガーのAdoのパワフルな歌声と、ウタのキュートなキャラクターデザインが劇場で踊り回り、多くの観客を魅了している。『ONE PIECE』ではたびたび「ビンクスの酒」などの歌がピックアップされることからも、まさに今シリーズらしさ満点と言える。

 ここからは作品内容について触れていきたい。本作を読み解く鍵の1つが"新時代"という単語だ。ウタが歌う「新時代」は、本作の中でも代表的な楽曲の1つとして扱われている。では、この“新時代”という言葉は何を意味するのだろうか。

【Ado】新時代 (ウタ from ONE PIECE FILM RED)

 『ONE PIECE』の世界を読者はルフィ目線で読むことで共に旅をしているが、そこは理想郷とは程遠い。四皇などの強い海賊たちが島や街、時には国単位で縄張りとして支配し、好き勝手に振る舞う。一方でそれらを取り締まる海軍もまた、斧手のモーガンやネズミ大佐などのように、正義を謳ってはいるものの、私利私欲にまみれた軍人も多く登場している。また海軍本部も、時にはバスターコールという砲弾の一斉放射によって、民間人を巻き込み、島1つを滅ぼすことも厭わない。一般人にとっては過酷で、気が休まらない世界だ。

 そして海軍、ひいては世界政府の上には天竜人と呼ばれる世界貴族たちがいる。人を人とも思わず、奴隷を持ち、我が物顔で全てを支配し、誰もが反感を抱きつつも、庶民はもちろんのこと海賊ですら手を出すことが難しい存在だ。『ONE PIECE』の世界は支配する者と支配される者の関係性が強固であり、それを崩すことは容易ではないことが何度も描かれてきた。

 一方で、ルフィの冒険は、困難に直面した際には、結果として支配から解放することを選択してきた。序盤のアーロン一味に支配されていたココヤシ村、アラバスタ王国、あるいは最近ではワノ国など、自由を求めるための戦いにルフィは参加し、結果的に解放を促してきた。

 ルフィは作中にて「この海で1番自由な奴が海賊王だ!」というセリフを話す。この"自由"や”解放”というのは『ONE PIECE』を語る上ではとても重要なワードだ。最近明かされた"解放の戦士ニカ"であったり、あるいは革命軍の目的などにも沿っている。一方で、ルフィは解放はしても統治や支配はしない。統治はアラバスタ編のビビ、ドレスローザのレベッカのように、その国に残る人々の役割なのだ。

 話を映画に戻そう。ルフィとウタには共通する思いは多い。ウタもまた、歌を愛しながらも支配を嫌い、そして天竜人すらも相手にせず、多くの人と共に楽しく過ごせる世界を夢見ている。それは「新時代」の歌詞の中にも、世界中を全部変えるという意味が綴られていることからも窺える。ただしルフィとウタの最大の違いは、ルフィは海賊を自由の象徴と認識していることに対して、ウタは支配者側の存在と認識している点だ。

 一方でシャンクスに関しては、まだ謎が多く、その目的は明かされていない。しかし原作第1巻にて赤髪海賊団のクルーが「(海賊は)何より自由っ!」と話していることからも、自由を重視している海賊であることが推察される。またシャンクスは事あるごとに「新時代」という言葉を発していることからも、ルフィやウタと目的そのものは似ているものと思われる。

※以下、一部物語の結末に触れます

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