『ちむどんどん』世間知らずな暢子がレストランから新聞社へ ニーニーの不穏な発言も

『ちむどんどん』世間知らずな暢子が新聞社へ

 1973年10月。暢子(黒島結菜)が銀座のレストラン「アッラ・フォンターナ」で働き始め、早くも1年半が過ぎた。ようやく前菜の一部を任されるようになり、着実に夢へと近づいているはずだった暢子にオーナーの房子(原田美枝子)から思いも寄らない言葉が告げられる。

「今日限り、クビ。あなたはこの店で働く資格がない」

 NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』第8週初日の放送から、いきなりクビを言い渡された暢子。きっかけは、お店の常連客である演劇評論家・淀川春夫(本田博太郎)の来店だった。

 この日、接客を担当した暢子は淀川から出した料理の素材や店名の由来など、イタリア料理のシェフを目指しているなら当然答えられるはずの質問を投げかけられる。しかし、暢子は一切答えられずに淀川を呆れさせてしまうのだ。

 一方、小学校しか出ていないにもかかわらず、勉強熱心で幅広い見識を持っている房子。だから多くの学者と繋がりがあり、フォンターナは一流の文化人や芸術家が集うサロンにもなっていた。「料理人は料理さえできればいいでは駄目。地理・歴史・哲学・美術・文学から科学まで、幅広い知識と視野が必要」というのが房子の持論。

 考えてみれば、上京したての暢子が初めてこの店にやってきた時も、房子は自らテーブルを回って客に料理の説明をしていた。美食家たちは料理の味はもちろんのこと、その美食が生まれた文化や歴史的背景などの知識を求めてフォンターナを訪れているのかもしれない。それなのに、目の前の作業をこなすのに精一杯で、自ら積極的に料理のことを学ぼうとしない暢子に房子の堪忍袋がついに切れた。しかし、ある条件を飲めば、クビは撤回してくれるという。

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