『映画 オッドタクシー』とVTuberに共通点も? ビジュアルが同一性を担保しない世界
ビジュアルが同一性を担保しない世界
杉本:日本のアニメは当然子ども向けの作品として普及しましたが、いつからか“子ども向け”と言われ続けることに対する反発もあったわけです。例えば、『魔法少女まどか☆マギカ』も子どもっぽい絵柄でダークな物語をやるという捻りを活かした典型的な作品だと思います。この手の捻りは日本アニメのお家芸の一つなのかもしれませんね。ネタバレになりますが、実は本作の世界は小戸川の主観で人々が動物に見えているわけですが、この“主観的に見えた世界”という描き方が、この作品を一つ決定づけている点だと思います。 これに関して、渡邉さんはどう思いますか?
渡邉:3月末に、ゲンロンカフェで同世代のアニメーション研究者である土居伸彰さんと対談をしたのですが、土居さんがよく仰っているのは「アニメーションとは、記号性の高い寓意化された世界であり、さらに現代のアニメーションはその世界の中で一人の主人公の個人的な世界・内面を描くという特徴がある」ということです。だから、小戸川という人間から見た周りの人々が動物に見えてしまうというこの設定は、土居さんの主張をなぞっているようで非常に面白かったですね。また、フランスの哲学者ジャック・デリダの『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』という本の中で展開された動物論も印象的です。デリダによれば、昔、人間と動物は対立的なかけ離れた存在で、人間は動物という劣った存在を一方的に眼差す関係性だったと言います。ところが、デリダはある時お風呂上がりに素っ裸で頭を拭いている姿をペットの猫に見られたとき、非常に独特な恥ずかしさを感じたそうです。本来は人間が動物を眼差すはずなのに、“動物から眼差される人間”という関係性をデリダは感じたんですね。本作でも、最終回で小戸川が動物から眼差される場面が出てきます。動物は人間から見ると非人間的な存在ですが、その関係性は、生身の人間とアニメーションのキャラクターの関係性にもなぞらえられますよね。全てが動物に見えてしまう人間像は、私たちと動物との関係、そして私たちとアニメーションとの関係をも象徴的に描いてる気がしました。
杉本:僕はビジュアルが動物に見えるという設定は、VR空間のメタファーにも感じます。渡邉さんは著書『新映画論 ポストシネマ』(ゲンロン刊)で『レディ・プレイヤー1』など、VR空間を表象する作品を取り上げていますよね。VR空間は生身の肉体ではなく、アバターをまとっていてその外見は取り換え可能です。動物に見えていた登場人物たちは、実は人間だったというのは、ビジュアルが同一性を担保しない世界のメタファーともとれます。これは昨年公開された細田守監督の『竜とそばかすの姫』の主題でもありましたね。ビジュアルが同一性を担保できないという意味では、VTuberの世界も同じだと思いますが、VTuberは声の人、つまり中の人が魂だと言われます。小戸川も、人間が動物に見えていたときは誰が誰かすぐに特定できる能力を持っていましたが、人間に見えるようになってからは、誰が誰かすぐに分からなかったじゃないですか。そういう意味では、本作品も、外見ではなく声こそが同一性を担保できるということに繋がっているのかなと。
渡邉:本当に色んな要素を内包した面白い作品ですよね。
杉本:いわゆるアニメが苦手な方にも訴求力のある作品だと思うので、いろんな方に観ていただきたいですね。
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■公開情報
『映画 オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』
全国公開中
花江夏樹、飯田里穂、木村良平、山口勝平、三森すずこ、小泉萌香、村上まなつ、昴生(ミキ)、亜生(ミキ)、ユースケ(ダイアン)、津田篤宏(ダイアン)、たかし(トレンディエンジェル)、村上知子(森三中)、浜田賢二、酒井広大、斉藤壮馬、古川 慎、堀井茶渡、汐宮あまね、神楽千歌、虎島貴明、METEOR
企画・原作:P.I.C.S.
脚本:此元和津也(P.I.C.S. management)
監督:木下麦(P.I.C.S.)
アニメーション制作:P.I.C.S. × OLM
配給:アスミック・エース
製作:映画小戸川交通パートナーズ
(c)P.I.C.S. / 映画小戸川交通パートナーズ
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