『ほどなく、お別れです』は“受け入れがたい死”をどう描いた? 際立つ永作博美の存在感

公式サイトのあらすじから読み解けるのでネタバレというわけでもないが、映画『ほどなく、お別れです』で亡くなるのは、決まって女性である。原作には男性が亡くなるパターンもあるだけに、これは映画版のみの設定で、それが偶然なのか、あえて狙ったのかは不明ではあるものの、いざというとき、女性は現実を受け入れて、子どものためにも前に進もうとするが、男性のほうが繊細で弱いということを映し出しているようでもあった。
今作は、原作者・長月天音の大学時代の葬儀社アルバイト経験や、約6年にわたる闘病生活の末、2016年に亡くなった夫の看取り経験が作品に反映されている。正直なところ、亡くなった人の本当の気持ちというのは、わからない。それは本人ではないからだ。そうなると、自分だったら、何を伝えたいか、どんな言葉を遺したいかと考える。だからこそ、女性視点が多いのだと理解していたし、そもそも主人公・美空は女性なのだから、実際にその側面も強いはずだ。

今作においても、そんな女性目線の“強さ”というものが、見事に表されていた。ところが驚いたことに、監督も脚本家も男性なのだ。
脚本の岡田惠和は、『ストロベリームーン 余命半年の恋』(2025年)や『余命10年』(2022年)などでも、遺された者の視点を大切に描いてきたし、監督の三木孝浩も、同様だ。Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』(2024年)もそうだが、3月20日から公開される『君が最後に遺した歌』においても、その視点には長けていたように、今作を映像化するにあたって、うってつけのクリエイターではあるが、今までとは少し違ったものを感じた。

逆にいえば、男性側の弱さは描けるからこそ、女性側の強さは原作力が際立ったのかもしれない。男性だから、女性だから~という分け方は、あまり好ましくないし、使いたくない表現ではあるが、それでも女性側のほうが、亡くなった者にしても、遺された者にしても、明確な“強さ”が描かれていたといえるだろう。
ただし、そこに俳優陣の演技力は欠かすことはできなかった。オムニバス形式で、各エピソードに、違ったドラマや背景が描かれていて、リズム的には淡々と描かれている。どちらかといえばドラマシリーズとして映像化したほうが適したいたようにも思えなくはないが、例えば古川琴音や野波麻帆といった女優陣に与えられた短いパートでの演技、それぞれが作品に深みを加えているのだ。だからといって、男性陣が目立たないというわけではない。目黒蓮が絶賛したという北村匠海の演技も見事で、冒頭から涙を誘う。





















