濱口竜介を“声の作家”として読み解く 初期作から『ドライブ・マイ・カー』に至るまで

“声の作家”として読み解く濱口竜介

手話という声

ドライブ・マイ・カー
『ドライブ・マイ・カー』(c)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 『ドライブ・マイ・カー』では言葉と声の関係に、ユニークな試みがなされている。多言語の導入と手話だ。特に手話は濱口監督にとっても新しい挑戦だったのではないか。

 手話は音(声)ではないが、言葉である。濱口監督が狙う「言葉とからだの随伴性」は手話においても発揮されていると思われる。それは『ワーニャ叔父さん』の劇でソーニャを演じるユナによって端的に語られる。

「チェーホフのテキストが、私の中に入ってきて、動かなかった体を動かしてくれます」(※5)

 『ハッピーアワー』のワークショップで、濱口監督は「沈黙の会話」というものを提案したそうだ。身振り手振りもなく目だけで話し合うそうだが、それでも感情のやり取りは可能だと発見したらしい。そのことを端的に「からだはしゃべっている」と本の中で表現しているが、手話の導入はそのわかりやすい実践なのかもしれない。(※6)

 『ドライブ・マイ・カー』は、最後に『ワーニャ叔父さん』の舞台上演で締めくくられる。その舞台の最後の場面はワーニャとソーニャの場面だ。ソーニャがワーニャを後ろから抱きしめるように手を回し、2人は客席を向き、手話でワーニャに語り掛ける。ここでは静寂と豊かなテキストが同時に存在している。「言葉とからだの随伴性」を追求する映画にふさわしいラストではないか。

 ちなみにこのシーン、『月刊シナリオ』に掲載された脚本では、ワーニャとソーニャが向かい合って会話し、最後に2人が客席に向き合うという流れになっており、本編とは異なっている。映画本編では、ソーニャの手話による長台詞が始まる時点で、二人とも客席を向いているし、ソーニャがワーニャを後ろから抱きしめるような態勢になっている。

 客席と演者が正面から向かい合うというのは、濱口監督のあるカットの傾向を連想させる。濱口監督はしばしば、役者とカメラを向き合わせる真正面カットを撮って、観客に演者の芝居と向き合わせようとする。

 『PASSION』の時に、カメラを斜めに置いて撮影した際、「演技をかすめ取っている」ような気分になったと濱口監督は語っている。(※7)次作の中編映画『永遠に君を愛す』では、結婚式の誓いのキスの時に、役者を正面から捉えるようになるのだが、この真正面から芝居を捉えるというのも、「聞く」ということにつながっているように筆者は思う。

 斜めに置かれたカメラのカットでは、確かに役者の芝居を正面から聞いているというより、横から観察させてもらっているような印象になる。対して、真正面から役者の芝居を撮ると、観客は役者と目を合わせるような関係になるので、より真摯にその声を聞かないといけない気分になるのではないか。そして、自分が聞いているという感覚は、観客の中で役者の声をより「いい声」にすることにつながるのではないか。濱口監督は、使うのが難しいとされる真正面カットを非常に巧みに使う作家でもある。

『偶然と想像』(c)2021 NEOPA/fictive

 濱口竜介は声の作家である。濱口作品で登場人物たちは、感情を言葉で交わし合い、語り合い、交じり合う。映画は動くビジュアル表現なので、映画の歴史の中で異色の存在と言える。誤解ないように言っておくと、濱口映画が映像をおろそかにしているわけでは全くない。『PASSION』の煙や、『親密さ』の並んで発車する電車、『ドライブ・マイ・カー』のタバコを持った2人の手、『偶然と想像』のエスカレーターですれ違う2人など、印象的な画も数多い。だが、それらの画の強度をサポートしているのも、台詞によって構築された人々の関係性だった。言葉が芝居を引き連れて、その芝居が画の強度を生み出す。濱口映画はそのようにして出来ているように筆者には思える。

 様々な識者が多くの視点から論じているが、やはり濱口竜介の登場は映画史の事件ではないかと思う。濱口竜介の登場によって、映画は「声(音)の時代」を迎えるかもしれない。もしそうなれば、濱口竜介はその扉を開いた作家として歴史に名を刻むだろう。

参照

※1:『月刊シナリオ』2021年11月号、P70、『ドライブ・マイ・カー』シナリオより
※2:『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』濱口竜介・野原位・高橋知由著、左右社、P24
※3:『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』濱口竜介・野原位・高橋知由著、左右社、P38
※4:『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』濱口竜介・野原位・高橋知由著、左右社、P30
※5:『月刊シナリオ』2021年11月号、P57、『ドライブ・マイ・カー』シナリオより
※6:『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』濱口竜介・野原位・高橋知由著、左右社、P26
※7:『カメラの前で演じること 映画「ハッピーアワー」テキスト集成』濱口竜介・野原位・高橋知由著、左右社、P296

他参考文献

・『ハッピーアワー論』三浦哲哉著、羽鳥書店:『ハッピーアワー』の台詞を詳細に分析されている。濱口監督の演出を語る上で必読。
・『新映画論 ポストシネマ』渡邉大輔著、ゲンロン:渡邉氏はこの本で、21世紀の映像世界は「視覚優位」のパラダイムが大きく揺らいでいると指摘しているが、そんな時代に声にこだわる濱口監督が登場したことは必然なのかもしれない。
・『偶然と想像』公式パンフレット:濱口監督はエリック・ロメール監督の編集を手掛けていたマリー・ステファンさんとの対談で、「人の話をちゃんと聞く人」をキャスティングするのが根本で、編集でも「聞いている人を見せる」ことが大切だと語っている。 ロメール監督も濱口監督同様、台詞が膨大なタイプの作家で、ステファンさんはロメール監督も役者の「聞く力」を重視していたと語っている。
・『女のいない男たち』村上春樹著、文春文庫

■公開情報
『ドライブ・マイ・カー』
公開中
出演:西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン、ペリー・ディゾン、アン・フィテ、安部聡子、岡田将生
原作:村上春樹『ドライブ・マイ・カー』(短編小説集『女のいない男たち』所収/文春文庫刊)
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介、大江崇允
音楽:石橋英子
製作:『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
製作幹事:カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド
制作プロダクション:C&I エンタテインメント
配給:ビターズ・エンド
2021/日本/1.85:1/179分/PG-12
(c)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
公式サイト:dmc.bitters.co.jp

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