『鹿の王 ユナと約束の旅』に存在する“弱点”と“収穫” 『もののけ姫』との違いは?
庵野秀明、細田守、米林宏昌、百瀬義行、宮崎吾朗など、これまで宮崎駿監督にかかわったクリエイターたちが、長編アニメーション作品の監督として活躍している。彼らが作り上げる映画の内容はどれも、程度の差はあれ宮崎作品からの影響が感じられるものばかりだ。この度公開された『鹿の王 ユナと約束の旅』もまた、その一作であり、これが初監督作となった安藤雅司もまた、その一人となった。
安藤雅司といえば、主に作画やキャラクターデザインなどで、様々なスタジオのアニメーション作品で辣腕を振るっている、日本のアニメーション業界に多大な功績のあるアニメーターだ。主に90年代は、スタジオジブリで高畑勲、宮崎駿監督らの下で大きな活躍を見せた。2001年公開の『千と千尋の神隠し』では、作画監督とキャラクターデザインを務め、これまでのスタジオジブリでは見られなかった、リアリティあるヒロイン像を造形、作品のアカデミー賞獲得に大きく貢献している。
安藤と宮地昌幸との共同監督作となった『鹿の王 ユナと約束の旅』は、上橋菜穂子の小説を原作としたファンタジー作品となったが、これもやはり安藤が作画で中心的な活躍をした『もののけ姫』(1997年)を、強く思い起こさせる内容となっていた。
いや、似ているというより、テーマやビジュアル、自らデザインしたキャラクターなどを見ていく限り、様々な点において『もののけ姫』を意識しているとしか思えないのである。安藤が『もののけ姫』に参加していたことは、業界やアニメファンの間では、よく知られている。つまりここで安藤監督は、自分なりの『もののけ姫』を作り上げ、監督の立場から宮崎駿監督と勝負しようという意図があったと考えられるのではないか。
『もののけ姫』は、1997年夏、全国の映画館の前に長蛇の列ができるなど、社会現象となった超大作だ。そのときすでに、スタジオジブリ作品、とりわけ宮崎駿監督作品が国民的な存在となっていた状況が背景にあり、大々的な宣伝によって、作品にかけられた膨大な労力と壮大なテーマへのがアナウンスされることによって、大勢の観客が映画館へ駆けつけることとなったのだ。そんなモンスター級の映画と、本作をそのまま対比するのは酷かもしれない。しかし、同じステージで比べなければ、逆に失礼だというのも確かである。
本作の製作スタジオは、『イノセンス』(2004年)や、TVアニメ『ハイキュー!!』などで安藤が作画を担当してきた、「Production I.G」だ。宮崎駿監督のライバルの一人である、押井守監督作品の製作をはじめ、これまで幅広いジャンルの作品を手がけるとともに、職人的でハイクォリティな仕事で知られている。本作は、そんな「Production I.G」のベテランである西尾鉄也や黄瀬和哉、これまで安藤と仕事をしてきた沖浦啓之、井上俊之、米林宏昌、箕輪博子、吉田健一、小西賢一などなど、『もののけ姫』や、その他の作品で協力し合った、経験ある作画のスペシャリストたちが集まった。
それだけに本作は、近年類を見ないほどの作画技術を堪能できる内容となった。『もののけ姫』のヤックルを思い起こさせる鹿の躍動などの懐かしい要素に、「Production I.G」の長所とされてきた“重量感”が加わることで、『もののけ姫』から、さらに洗練された映像表現が見られる部分もある。とくに目を見張るのは、現実の人間のプロポーションに近いリアルなバランスのキャラクターたちに、実写作品のような複雑な演技をさせているという部分だ。ディフォルメの要素が少ない、頭身の高いキャラクターの様々な動きを、破綻なくアニメ作品で表現するというのは至難の業である。
これに比べると、例えば「ufotable」の『鬼滅の刃』は、対照的な作風であるといえる。こちらはCGを利用した躍動的なカメラワークや、エフェクトを多用してリアルな空間の表現やスケール感を表現し、原作の表現を極限まで広げようとしている。さらに、シリアスなシーン以外では、キャラクターの頭身を含め、絵柄が様々に変化するのである。対して本作は、そのような演出やディフォルメには極力頼らず、質実剛健な作画によって“画面をもたせる”という難しい試みに挑戦し、それを成し遂げている。この“作画”に込めた監督の粘着的といえるほどの意志には圧倒されるものがある。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)や『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)などで安藤が原画を担当した作品の監督、高畑勲は、まさにアニメーションで、このような一見地味といえる生活描写を、丹念に表現することに尽力し、日本のアニメーション作品の格を上げてきた。安藤監督は、このような高畑監督の哲学をも部分的に吸収することで、本作の美学的な試みへと結実させたのだろう。
本作は、そのようなアプローチで、家族を失った主人公ヴァンと、親を失った幼い少女ユナとの交流、そして、謎の伝染病の研究をするホッサルとの旅や戦いが、人間たちの勢力争いや自然の神秘性などを背景に描いていく。全体的に『もののけ姫』に似ているとはいえ、長い原作のテーマをうまくまとめて、映画のサイズに反映できている。また、作中に登場する伝染病という要素が、現在のコロナ禍の状況と重なることで、思わぬ“重み”が作品に発生することともなった。
そして、日本のアニメーション作品としては珍しく、渋い中年男性を主人公として活躍させている点もいい。『千と千尋の神隠し』のキャラクターデザインと同様、ユナを日本のアニメーション作品にありがちな美少女像として描かないところは、やはり安藤監督ならではといったところだろう。