『スパイダーマン』20年の歴史に寄り添う3人の“MJ” その変換から考えるヒロイン像の変化

『スパイダーマン』3人のMJの変換を辿る

 サム・ライミ版『スパイダーマン』が公開された2002年から、ちょうど20年後に日本公開された『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。本作は、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)、ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース(SSU)といった枠組みを超えた、いわば“スパイダーマン・シネマティック・ユニバース“(SCU)と言え、MCUにおける『アベンジャーズ/エンドゲーム』のような一つの集大成的作品でもある。そんな“SCU”作品に欠かせない存在は、主人公スパイダーマンことピーター・パーカーだけではない。彼の恋の相手となるヒロイン、つまり“MJ”だ。そこで、この20年間の間に登場したMJたちについて振り返ってみたい。

※本稿には『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のネタバレを含みます。

サム・ライミ版『スパイダーマン』シリーズで軽薄に描かれたMJ

 私がライミ版『スパイダーマン』シリーズを大人になって観返して恐らく一番驚いたのは、MJ(メリー・ジェーン・ワトソン/キルスティン・ダンスト)があまりにも“酷い女”であることだ。子供の頃、映画館で観た時には何も感じなかったし、ただ「綺麗な女性が逆さまにキスした……ワーオ」くらいにしか思っていなかったのに、大人になって観ると、確かに美しいシーンであるには変わりないものの、「ハリー(ジェームズ・フランコ)と付き合っているのに、助けてもらった“お礼”として自らスパイダーマンにキスをした」という事実が気になってしまう。そう、ライミ版のMJは3人のMJの中で唯一移り気というか、浮気性で少し軽薄なキャラクターとして作られた。基本的に、彼女はピーター(トビー・マグワイア)以外の男性と、いつも付き合っている。そして、その相手は必ず権威や権力を持ち、裕福な相手だ。

 例えば高校時代のフラッシュ(ジョー・マンガニエロ)も暴君で嫌なやつだが、誕生日に両親に高級な新車を買ってもらうあたり、やはり彼もボンボンだった。そんな彼がその新車でMJをドライブに誘うシーンは、なにげない場面に見えてMJという人物像をよく語っている。ピーターとMJが裏庭で話していると表通りからフラッシュが彼女を呼ぶ。そこでつい先ほどまで自分をベタ褒めしてくれていたピーターに、少しだけ申し訳なさそうな顔で「行くわ」と言うMJ。しかし、振り返ってすぐ「Oh my god〜!(すごい車ね)」とはしゃぎながら全速力で駆け出すのだ。この一瞬の描写だけでも、やはり彼女が「現金な女性」という印象を受けるのには十分である。なにが悲しいって、この高級な新車にはしゃぐ彼女の姿を見て「かっこいい車さえあれば、俺にもチャンスがあるかな……」と思ったピーターが、振り向かせるために車を欲しがり、その資金を得るためにアマチュア・レスリングに参加してしまったことで……車なんて欲しがらなければベンおじさんも生きていたかもしれないと考えると、頭を抱えそうになる。

 さらに1作目のラストでピーターに告白するシーンは、MJにとってピーター・パーカーがどんな存在かを物語っている。

「あなただけがいつもそばにいてくれた」「いつも私に自信を与えてくれた」「愛してる」

 先ほど述べた通り、MJはシリーズを通して自分よりパワーのある男性と付き合う傾向がある。それは恐らく、気性の荒い父親との関係性の反動によるものかもしれない。そしてピーターはどんないい男と付き合っても別れても、変わらずに自分のことを全肯定してくれる存在であり、自分が愛されていると実感できる相手なのだ。しかし、MJは彼のことを本当の意味で愛していない。彼女が彼から無償の愛を享受することはあっても、彼女から彼に与えることがないのだから。2作目のラストで彼女が再び告白し、二人は結ばれるが、これも結婚式の当日に心優しいフィアンセのジョン(ダニエル・ギリーズ)から、“ヒーロー・スパイダーマン”に乗り換えたようなものである。

『スパイダーマン』(c)2002 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. | MARVEL and all related character names: (c) & TM 2020 MARVEL.

 しかし、その後の3作目ではピーターが逆に自分に自信をつけて堂々とし、モテ始めると(まあ、シンビオートのせいなんだけど)、今度はそれが面白くない。穿った見方かもしれないが、その面白くなさは彼氏が他の女性にモテているということよりも、“あの私にベタ惚れだった誰にも相手にされないはずのピーターが”モテ始めた、という優位性の逆転によるものにも感じてしまう。こんなふうに、MJはとにかく多くの点で非魅力的に描かれている。しかし、ある意味彼女は時代による“被害者”であり、彼女から『アメイジング・スパイダーマン』のグウェン・ステイシー(エマ・ストーン)、MCU『スパイダーマン』のMJ(ゼンデイヤ)に至るまで、ヒーロー映画の中のヒロインの描かれ方における大きな進歩を語る上で、欠かせない存在なのだ。

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