夢見られたヒロイン、アニャ・テイラー=ジョイの特異性 第1期の総決算となったサンディ役

アニャ・テイラー=ジョイのヒロインの才能

 エドガー・ライト監督による傑作『ラストナイト・イン・ソーホー』は、エロイーズ(トーマシン・マッケンジー)のダンスシーンから始まる。エロイーズによる魔法のかかったようなダンスシーン。トーマシン・マッケンジーによるバレエを経由したしなやかな手足の身振りは、次々と空気中に何かをデザインしていくかのような魔法を画面に宿していく。エロイーズは、ファッションデザイナーを夢見る田舎に住むティーンエイジャー。憧れのロンドンへ向かうキャリーケースには、古いレコードを詰め込んだせいで衣服が入りきらない。ふと鏡を覗くと、エロイーズの軽やかさとは対照的な、動きのない亡き母親の亡霊が微笑みを浮かべている。エロイーズは母親の亡霊と生まれ育ったこの家に、少しの寂しさと大きな感謝の気持ちの入り混じった「さよなら」を告げる。

 エロイーズのダンスが、彼女の身体の外側にある世界に次々と魔法をかけていく行為ならば、サンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)のダンスは、エロイーズの内側の世界にある「ランウェイ」を闊歩していくモデルのウォーキングそのものだ。サンディのダンスには、華麗さと同時に大胆な野心が溢れている。サンディはいつもエロイーズの想像の一歩先にある「ランウェイ」を闊歩している。ここにサンディを追いかけるエロイーズの図が生まれる。幻の女サンディは、60年代ロンドンの夢の中で留り続けるエロイーズにとっての夢見られた女。エロイーズの夢はサンディの持つ彩りによって装飾されていく。と同時にサンディはエロイーズの夢の破壊者でもあり、サンディもまたロンドンの夢/悪夢に魅了された被害者でもある。

 サンディの衣装は60年代の様々な映画の記憶をモチーフにしている。エドガー・ライトが挙げたインスピレーション元となった25本の映画リストの中で(※1)、イエジー・スコリモフスキ監督による異形の傑作『早春』(1970年)でジェーン・アッシャーが纏っていた黄色いコートのデザインが召喚されている(何色にも染められる真っ白のコートとして召喚されているところがさらなる興味をそそる)。ソーホーを舞台に、年下の青年から熱烈な思いを寄せられる、あのどこにも属さない超然とした存在のヒロイン。衣装はその人の内面を表す。エロイーズとサンディは、ジェーン・アッシャーのスピリットを身に纏い、薄汚れたソーホーの町を彷徨する。そして、まだ短いキャリアの中でアニャ・テイラー=ジョイほど様々な時代の衣装を着こなしてきた俳優も他にいない。アニャ・テイラー=ジョイはどんな衣装を着ても、その衣装が作られた背景や、時代の持つ息吹を呼び込むことができる稀有な存在だ。

「1950年代のスタイルを参考にしたルックでは、ジーン・セバーグをイメージしました。彼女はベス・ハーモンのようにアウトサイダーでした。ニューヨークのシーンのルックでは、イーディ・セジウィックをイメージしました」(ガブリエル・バインダー:『クイーンズ・ギャンビット』衣装担当)※2

『クイーンズ・ギャンビット』
『クイーンズ・ギャンビット』Netflixにて独占配信中

 大いなる飛躍となったNetflixの連続ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』(2020年)で、アニャ・テイラー=ジョイは天才チェスプレーヤーであるヒロイン、ベス・ハーモンの十代~二十代を演じている。ベス・ハーモンが駆け抜けていく人生の境遇によって纏う衣装の趣向がどんどん変化していくのも、本作の大きな見どころでもある。チェックのコントラストが効いたドレスには、そのままチェスのイメージが施されていて、そこには「花柄のプリントにはない、決定的な勝つか負けるかのゲーム」(※2)のイメージまでもが内包されている。また、アメリカの片田舎で生まれながらゴダールの『勝手にしやがれ』(1960年)によってフランスで評価されたジーン・セバーグや、アンディ・ウォーホルのファクトリーのミューズで同じく数奇な人生を送ったイーディ・セジウィックのように、ファッションアイコンでありながら完全なアウトサイダーだった彼女たちのイメージが召喚されていることも、アニャ・テイラー=ジョイ自身のどこにも属さない「属性」と共振している。アニャ・テイラー=ジョイは、アメリカ、イギリス、アルゼンチンの三重国籍を有しており、自身のことを「地球外で生まれてきたみたい」(※3)と冗談めかして語ってもいる。『ラストナイト・イン・ソーホー』の幻の女サンディというキャラクターは、彼女の纏う衣装とその属性のイメージの両面において、アニャ・テイラー=ジョイのこれまでのキャリアの延長上にあり、第1期アニャ・テイラー=ジョイの総決算に当たるキャラクターといえよう。

夢見られた天使/悪魔

 中世を舞台にした民俗学的なホラー映画といえる傑作『ウィッチ』(ロバート・エガース監督)でブレイクして以降、アニャ・テイラー=ジョイは、古びた家、あるいは歴史のある館の記憶と、自身の纏う衣装、身体そのものを共鳴させてきた。ヒロインが蝋燭の灯りを頼りに屋敷内を歩くシーンが絵画的な印象を残す連続ドラマ『ミニチュア作家』(2017年)や、めくるめく華麗な衣装がファッショナブルな『EMMA エマ』(オータム・デ・ワイルド監督/2020年)といった歴史物に加え、屋敷の記憶に関する物語といえる忘れがたい作品『マローボーン家の掟』(セルヒオ・G・サンチェス監督/2017年)に出演している。

 特に近年スクリーンで目覚ましい印象を残しているミア・ゴスとの最初の共演となった『マローボーン家の掟』では、登場人物が視線を送る先にある、何もない壁や天井、階段、古いレコードから流れる音楽が、ホラー映画の演出によって屋敷に染み付いた記憶を呼び起こしていく秀作だ。アニャ・テイラー=ジョイは、マローボーン家の屋敷から遠く離れたところから、この屋敷のすべてを包み込むようなヒロインを演じている。その存在は、どこか聖性の輝きを帯びた肖像画のようですらある。思えば『ウィッチ』のヒロインが天使と悪魔の性質を裏返す形で帯びていたように(焚火の明滅する光に彩られた、あの恐ろしい『ウィッチ』のヒロインのクローズアップ)、アニャ・テイラー=ジョイの演じるヒロインは、ふとした瞬間に善と悪の間を自在に行き来することで、その土地や屋敷の記憶と共鳴していく。『クイーンズ・ギャンビット』では、ヒロインは孤児院の天井に想像上のチェス盤を描いていた。ベス・ハーモンがベッドルームや孤児院の天井に描く絵は、夢見がちな少女が空想する物語のようでありつつ、それは彼女の心を蝕んでいく悪夢のようでもあった。このことから、もはや『ラストナイト・イン・ソーホー』で、エロイーズの住む古びたアパートの部屋の記憶にアニャ・テイラー=ジョイがいるのは、ほとんど必然なことのように思える。エロイーズが部屋で最初にしたことは、古いレコードをかけることだった。レコードプレーヤーから流れるポップミュージックがこのアパートの記憶と、サンディを召喚してしまう。アニャ・テイラー=ジョイは光と闇を即座に反転させる。

「おそらく自分が最も所属していると感じる場所は、映画のセットの中だと思います。それが世界のどこであろうと、誰と一緒に映画を作っていようと、自分の居場所に最も近いものなのです。俳優という仕事は、家を見つけるための手段だったのかもしれません」(※2)(アニャ・テイラー=ジョイ)

 『ラストナイト・イン・ソーホー』のビジュアルイメージが、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーによる未完の作品『L'enfer(原題)』(以下、『L'enfer』)にインスパイアされていることをエドガー・ライトは明かしている。『L'enfer』は、撮影途中にアンリ=ジョルジュ・クルーゾーが心臓発作で倒れたため未完に終わった作品だが、残されたフィルムが2010年にドキュメンタリー作品として公開されている(※日本未公開)。当時のオプ・アートに影響を受けた過激な幻想性に溢れた未完成作品で、ヒロインのロミー・シュナイダーに当てられた艶めかしく明滅するネオンの光は、『ラストナイト・イン・ソーホー』に直接的な影響を与えている。また、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの復帰作であり、未完に終わった『L'enfer』へのリベンジ作であり、そして遺作となってしまった『囚われの女』(1968年)には『L'enfer』で試みた実験の応用が披露されている。『ラストナイト・イン・ソーホー』で、エロイーズ/サンディが分身的な多面体で鏡に映るショットは、『囚われの女』のヒロインのショットと一致している。「囚われの女」という言葉がサンディの人生をよく表していることは言うまでもない。ここで重要なのは、表層的なショットの引用以上に、エドガー・ライトが夢見た映画史の「恐るべき未完の傑作」に対するロマンチックな夢だろう。夢見られ、夢に破れたロマンのヒロインにアニャ・テイラー=ジョイが選ばれたということに、運命的な邂逅を感じずにはいられない。

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