性教育を超越した学びを描く 『セックス・エデュケーション』が高く評価されている理由

『セックス・エデュケーション』の真価

 突然だけど、性の話をするのはそう簡単なことじゃない。人によっては、自分の性生活について話すことに抵抗がない人だっている。しかし、性生活はおろか自分の身体の悩みについても気軽に誰かに相談できない、という人の方が大半だろう。それに、話せている人だって全てを明かしているわけじゃないはず。なぜなら性にまつわる問題は自分の身体と心に密接する最もパーソナルなものであり、悩み方も悩む内容も人の数だけ存在するからだ。その事実を優しく、クレバーな形で描くのがNetflixオリジナルドラマ『セックス・エデュケーション』である。

 本作は、ここ10年間の中で最も優れた青春学園ドラマといっても過言ではない。シーズン3が最近配信され、再び注目を浴びる本シリーズは一体何が他のドラマに比べて優れているのか、本稿で触れていきたい。

共感必至な性の悩みにはじまる、等身大の物語

 本シリーズはイギリスの架空の田舎町ムーアデールで生活をする様々なキャラクターが登場する。主人公のオーティス(エイサ・バターフィール)はセックスセラピストの母を持つ童貞。自慰ができないのが悩み。ゲイの幼なじみエリック(チュティ・ガトゥ)以外に特別友達もいなくて、“コックバイター”の異名を持つパンキッシュな風貌のメイヴ(エマ・マッキー)のことが気になっている。そしてオーティスがひょんなことからメイヴと校内で学生向けのセックスセラピーを始めたことをきっかけに、物語が進んでいく。

 シーズン1ではこの3名の視点を中心に、毎話ひとりひとりの生徒の相談内容に焦点が当てられている。なかなかイケない男子生徒、オーラルセックスをしていると吐きそうになる女性生徒、明るいところでしたい彼氏と暗いところでしたい彼女、長い間親友だった相手を性的に観られない女子生徒……どれもが普遍的で誰もが一度は悩んだことのあるような悩みだ。それを、特別でもなければ自分自身も大きな性の悩みを抱えるオーティスという主人公がカウンセリングしていく点に本作の魅力がある。大人に心の内側を暴かれ踏み散らかせたり、一方的に解決方法を押し付けられたりするのではなく、同じ目線の若者同士が寄り添って一緒に考えながら答えを模索するから良いのだ。そして、その様子を通して大人はようやく、若者が今使っている言語や思想に触れることができる。

 シーズン2では、そういった意味で大人がより物語に介入していく。オーティスの母親は学校の性教育アドバイザーになり、風紀が乱れた学校にお手上げ状態の校長先生は公私ともに不満が高まって爆発寸前。オーティスもついに自慰ができるようになって自慰中毒になったり、メイヴとの関係性がこじれてしまったり、その他のキャラクターもそれぞれがどんどん動いて物語を進展させていった。

性の向こう側にある、他者との関わりと自己愛の学びを描く

 極めて性的な内容やシーンの印象が先行しがちだが、結局このドラマの中で取り沙汰されている悩みの行き着く先は、他者に対する思いやりやコミュニケーション、自己愛の仕方なのだ。だから、猥褻さはあまり感じない。そこにはユーモアに富んだ笑いも含まれながら、真摯に現実にも蔓延る問題に今、私たちもどうすればいいのか考えさせられる要素がたくさんある。

 例えばシーズン1では一人の女子生徒の陰部の画像が校内で拡散される事件が発生。陰部の見た目をからかわれ、気にしていた本人は何とか写真をばら撒いた犯人を特定して、自分のものだとバラされないようにオーティスたちに頼む。犯人は無事見つかるも、次の日全校集会でその話題があがると、男子生徒が「噂だとアイツのらしいぜ」と揶揄う。実際にその通りだったので、本人は顔を曇らせてうつむいてしまうが、そのとき他の女子生徒が「それは私のです」と大声で言う。そこから、次々と「私のです」と他の女子生徒たちが席を立ち始め、その様子に勇気づけられた本人が最後、笑顔で「私のです」と言ってそのエピソードは幕を閉じた。リベンジポルノを含む、インターネット上において自身の卑猥な画像が拡散されることへの危険性を説きながら、それに止まらず完璧な身体なんて存在せず、みんなそれぞれが“ユニーク”であること、そしてそれを賞賛し合うことで自分の身体を祝福できるようになることなど、この一話だけでいくつもの大切なことが描かれている、素晴らしい回だった。

 シーズン2では、1話に止まらず全話を通した裏テーマとして同じように、美しいシスターフッドが描かれた。第3話でメイヴの親友であるエイミー(エイミー・ルー・ウッド)がバスに乗車した際、痴漢に遭う。体を密着させられ、変な動きから男が自分に向かって自慰をしていることに気づくエイミー。慌ててバスを降りたが、彼女のお気に入りのジーンズには精液がかけられていた。この事態を、最初エイミーは笑い話のように捉える。しかし、話を聞いたメイヴはことの重大さを伝えて彼女を警察に連れて行くのだ。痴漢の被害に遭った女性ならわかる感覚かもしれないが、最初こういうことは自分の心を防衛するために真剣に捉えずに無かったことにしようとする場合が多い。しかし、だんだんと酷いことをされた実感が湧いて悲しみや恐怖に襲われる。エイミーも徐々に怖くなり、男の人が痴漢をしてきた男に見えてきてしまう。彼氏にだって触られたくなくなってしまった。この問題はその後のエピソードに跨いで描かれており、それがすぐに解決しないことも含め、性被害を受けた女性のその後の心情を繊細に捉えているように思えた。

 続く第7話は、メイヴにエイミーをはじめシリーズに登場してきた女子生徒たちが女教師を陥れる悪戯をした容疑で、居残りの罰を受ける。「女性同士手を取り合うために、お互いの共通点を見つけて」という課題を出された彼女たちだったが、普段関わり合いがなかったり、犬猿の間柄の二人がいたりと口論になって難航する。しかし、そこでエイミーが痴漢後に抱えていた心の痛みを叫んだことで、その場にいた全員が同じように公共の場で痴漢を受けたことがある話を共有する。結果、彼女たちが共通点として出した「合意なきペニス」という言葉には、思わず拍手を送ってしまった。そして次の日、いまだにバスに乗れないエイミーの元に居残り組が駆けつけ、一緒に乗ってあげるという団結力を示した。この性被害の問題は女性に限らず、男性にも起きることだ。それがどれだけ日常的に行われており、その被害者がどれだけ深い傷を負うのかをダークになりすぎず、しかし実直に描き切った素晴らしいエピソードである。

 他にも、“フェイクオーガズム(イったフリ)”が、最終的には誰も幸せにしないミスコミュニケーションであることを説くなど、エンタメでありながらも漠然と我々も抱えている問題に迷う事なくモロ語で直接的に切り込んでくれるこのシリーズは、多角的な意味で「性教育」以外の何物でもない。

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