『大豆田とわ子と三人の元夫』の“終わり”が繋ぐもの 松たか子が口ずさむ歌の意味とは

『まめ夫』松たか子が口ずさむ歌の本意

 人生には、出会いの数だけ別れがあって、始まった数だけ終わりがあるし、選んだ現実の数だけありえたかもしれない“もしかしたら”がある。それらを「過ぎ去ったもの」や「区切りをつけて前に進むもの」と切り捨てることなく、「別れたけど今も一緒に生きてると思う」「時間は過ぎていくものじゃなく場所のような別のところにあるのでは」と抱き続けることを許してくれるやさしさが脚本家・坂元裕二の作品には漂う。

 避けられない悲しみ。拭い去れない痛み。どうしようもない寂しさ。生きているだけで次々と見つかる面倒なこと。網戸は何度でも外れるし、人生には何度でも転ぶ。大人になるほど否が応でも実感する、自分の思い通りになることなんてめったにないのが人生なのだと。

 ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)のとわ子(松たか子)も、大切な人との死別、夫たちとの離婚、新たな恋の予感と失望……と、多くの別れと終わりがふりかかる。それでも、彼女はなるべく日々を淡々と生きていくのが印象的だ。

 なぜ、とわ子は潰れないのか。その理由は、彼女が第1話でお風呂に入りながら歌っていたアニメ『ドラゴンボール』のエンディングテーマ「ロマンティックあげるよ」とオープニングテーマ「摩訶不思議アドベンチャー!」からなんとなく感じ取ることができる。

〈不思議したくて冒険したくて誰もみんなウズウズしてる 大人のフリしてあきらめちゃ 奇跡の謎など解けないよ〉(「ロマンティックあげるよ」)

〈Let’s try try try 摩訶不思議 空を駆け抜け山を越え Let’s try try try 大冒険 不思議な旅が始まるぜ〉(「摩訶不思議アドベンチャー!」)

 思い返してみれば『ドラゴンボール』の物語は主人公の孫悟空を筆頭に多くのキャラクターが復活を遂げていた。例え肉体が死んだとしても、地球が終わってしまったとしても、別の次元で物語は続いていて……そんな展開にワクワクしたものだ。きっと、とわ子の中には「別れ」や「死」さえも、今の空間にその人がいなくなるだけだと思える柔軟さがある。例えば、娘が親離れをして部屋から出て新しい暮らしを始めるかのように。

 そして、とわ子がオープニングテーマ→エンディングテーマではなく、エンディングテーマ→オープニングテーマを歌う流れにも、また意味を感じてしまうのが坂本作品らしいところ。日頃私たちが意識しているのは、時間=始まりから終わりへ一定方向に流れているもの、という感覚。だが、見方を変えれば第1話の終わりを告げるエンデイングは第2話のオープニングの始まりとも言える。

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