坂元裕二が突きつける、他人が物語を作り出す傲慢さ 『まめ夫』は私たちの日常に入り込む

『まめ夫』が描く他人が物語を作り出す傲慢さ

 ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)の日常が、気づいたらこちらの日常の中に入り込んでいると思うことがある。

 まるで、初回においてしろくまハウジングの社員たち(平埜生成、穂志もえか)の雑談の中で語られる「味ゾンビ」のように、ふとした瞬間に立ち現れる。何気なく話し相手に向かって首を振ると、互いに首を振り合うとわ子(松たか子)と鹿太郎(角田晃広)の光景が目の前に広がる。靴の中に入りこんだ小石を取る時は、苛立つ前にまず初回冒頭のとわ子の歩き方を想像する。お風呂にお湯が溜まるのを待つ時間が最近楽しい。たまにだけど、頭の中に伊藤沙莉のナレーションが流れ出す。大豆田とわ子の日常は、人生を面白くする気づきに満ちている。

 やり過ごせるものとやり過ごせないものについての取り留めのない会話の合間に、ずっと心に引っかかっている、好きな人に対する心配を織り交ぜて会話する男たちと、豆板醤の賞味期限の話と隠していた生い立ちの話を交互にすることで、重要なことをさも重要でないかのように話そうとする女たちの愛すべき日常。たとえそこに「かごめ(市川実日子)の死」という到底受け入れがたい出来事が唐突に加わったとしても、新たに登場した謎の男・小鳥遊(オダギリジョー)が言うところの、過去現在未来という概念から切り離された、「過ぎ去ることのない」時間の連なりとして、変わることなく、そこにあり続ける。

 自分のことを「不死身」だと言っていた綿来かごめが死んでしまった。「マジックショーで消されたハンカチ」のように物語の中から突然消えて、見えなくなってしまった。土を食べたり、誘拐されたり、指名手配されたりしたことのある過去と、「空野みじん子」として少女漫画を描き編集部に持ち込もうとしている現在と、いつか住む予定の「すごいマンション」を今住んでいるかのように語り、最後の晩餐と葬式の希望まで語っていた彼女の「こうあるはずだった未来」は、思えば他のどの登場人物たちより濃密に描かれていたように思う。

 だからこそ、唐突に失われた衝撃は大きく、第6話終盤に描かれた彼女の死を受け入れるには、とわ子だけでなく視聴者にとっても、その1年後を描いた第7話1話分の時間が必要だった。

 かごめは決して平穏ではなかったのだろう彼女の生い立ちを、彼女の人生の物語の一部として語られることを拒絶する。「そのことで私のことを見てほしくない。そこをもって私のこと語られるのが嫌」なのだと。

 その言葉と対極にあるのが、第7話において松林(高橋メアリージュン)がとわ子にぶつけた「ご友人がやり残した分ももっと頑張って欲しかった」という言葉である。「若くして亡くなったご友人」がどんな人物でどんな人生を生きたのかも知らず、無責任にその「やり残した人生」を押し付けようとする傲慢さは、第6話において、とわ子をホラー映画さながら追い詰めたクライアント先の社長・門谷(谷中敦)が、3回離婚したとわ子を「人生に失敗した可哀そうな人」と決めつけてかかったのと似ている。

 このドラマの登場人物たちを傷つけ、脚本の坂元裕二が徹底して描かないようにしているのは、「ご家庭の環境」と「協調性に欠ける」唄(豊嶋花)の性格を関連付ける通知表の備考欄といった、他人が作り出し、勝手に当てはめようとする「物語」なのかもしれない。

 そんな世間が言うところのかごめの「やり残した人生」への、とわ子の戸惑いに対し、明確な答えを示したのが、「謎の男X」こと小鳥遊だった。「時間って別に、過ぎていくものじゃなくて、別のところにあるもの」で「その時その時を人は懸命に生きている」「人生って小説や映画じゃないもの。幸せな結末も悲しい結末も、やり残したこともない」という言葉は、第5話における「これまでの離婚は全てパラレルワールドでの出来事だと思っていて、こっちの世界では関係ない」という門谷ととわ子の会話とも親和性を持っていると同時に、「一つの恋を終わらせることができない」3人の元夫たちをも肯定する。

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