『まめ夫』第2章に訪れた寂しさの正体 “なくならない”人の温もりを描く坂元裕二の意図は?

『まめ夫』第2章に訪れた寂しさの正体

 フルーツサンドからフルーツがこぼれ落ちてしまう、大豆田とわ子(松たか子)のコミカルな日常から幕を開けた『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)第2章。「食べる」というのはそれそのまま「生きる」ということであり、第6話で親友のかごめ(市川実日子)を亡くしてから1年の月日が経過した今も、とわ子はままならないなりに食べていた(生きていた)。ドラマは空白の1年についての具体的な描写を回避するが、一方でかごめの不在がとわ子の生活に影を落とし続けていることや、一人娘の唄(豊嶋花)が祖父の家に引っ越したこと、八作(松田龍平)が度々遠くに旅行していることなど、「いないこと」の喪失感が常に漂うことで、時が止まったような1年を想像させる。

 そんな第7話の主題となるのは、「こぼれ落ちてしまうもの」だったように思う。

「クロワッサンって、食べカスをこぼせばこぼすほど、運気が逃げるらしいですよ」

 あるときとわ子は、社員の城久間悠介(平埜生成)からそうした茶々を入れられる。言葉を受けて目をひんむきながら当惑するとわ子が愛らしい場面だ。フルーツサンドからフルーツがこぼれ落ちても構わずにバラバラに食べる人であるから、そんなことを言われなければ遠慮なくかぶりついていたことだろう。「運気が逃げる」なんて彼がわざわざ言うのは、とわ子が社長を務める「しろくまハウジング」の業績が悪化し、他社からの買収が間近に迫っている状況だからである。

 フルーツサンド、クロワッサン、シナモンロール。死んだ魚のお寿司のネタは醤油に落ちてしまう。「こぼれ落ちる」ことをなぜここまで映像で示唆するのかと言えば、それはとわ子にとっての「大事な人」が、「親友との大切な記憶」が、「愛情」が、「会社の強み」が、近ごろずっとこぼれ落ち続けているからだ。唄が家を出ていくとき、彼女はとわ子に対してこう言っていた。「ママがちゃんと育ててくれたから、私は自立しようと思ったんだよ。大丈夫」。成長した娘の姿が嬉しい反面、大事に大事に握りしめてきたものが指の間からホロホロとこぼれ落ちていくようで、どうしようもなく寂しい。

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