宮台真司インタビュー:『崩壊を加速させよ』で映画批評の新たな試みに至るまで

宮台真司が明かす、映画批評の新たな試み

「監督がそもそも世界はどうなっていると感じているか」

ーー理屈ではわかっても、クオリア=体験質が分からなければ身に入っていかない。読者に対する、いわば教育的な狙いも本書にはあるということですね。

宮台:はい。理屈が分かっても「分からない」。物語は分かっても「分からない」。何が「分からない」のかという問題です。理屈を体験質で補完し、その体験質を体験質で補完するという営みを、僕らはやってきていない。そうして継承線を蔑ろにしながらバラード問題(未来の社会の良し悪しを未来人ならぬ現在人は論じられない)を語ることは倫理的に許されません。

 同じことを表現者に向けて語ることにも意味があります。若い世代が世界観より物語に反応しがちだという劣化傾向はそれとして、自分が伝えたい言葉にならない何かが、伝わる人と伝わらない人がいるのはなぜか。娯楽であれ芸術であれ、「伝わる人への迎合」を退け、「伝わらない人に伝える」工夫をすべきで、そこに体験質の理論が役立つと思っています。

ーー近年、宮台さんによる「体験質の体験質による補完」が有効になるタイプの映画が増えている、ともいえますか?

宮台:映画だけじゃありません。先に挙げた、学問的蓄積をベースにした『スマホ脳』も、社会(制度)が間違っているんじゃなく、人(生き方)が間違っているのだ、という気持ちを体験させます。市場の廃絶は永久に不可能なので、何をどこまで資本化するかを含めて、市場で何を買うか、何を市場で売るか、という人による選択が重要になるからです。

 人が何を選択できるかは、選択で人が何を体験できるかという体験質に依存します。体験質が劣化すれば、バラード問題が暗喩するように「未来は何でもあり」になります。映画に限らず音楽や小説や学問を含めた表現者の多くが、その事実に気付き始めたのでしょう。日本映画にはそうした表現者が少なく、観客迎合的なものが専らです。日本の人と社会の劣化を物語ります。

ーー宮台さんの解説が映画の見方自体に影響を与えるという点で、本書に収録されている『TENET テネット』に関する対談は好例ですね。『テネット』が決定論的な世界観を前提とした作品であると指摘した上で、クリストファー・ノーラン監督の狙いを深く読み解いています。

宮台:『テネット』は考察サイトが多数あり、最近は『進撃の巨人』もそうですが、作品が好きになった人の大半は、何が何とどう整合しているかという細かい部分が気になり、その解読に意識の全てを使います。人の摂理だと言えるけど(笑)、一流の表現者にとってそれは釣りで、なぜあなたはこの映画が好きになったのかを考えてほしいと思っているはずです。

 あとがきで書きましたが、若い世代が物語=辻褄に専ら反応するのは、明白な劣化です。ノーラン監督はそういう風に作っていない。物理学的オカズは、物語が物理学と整合することじゃなく、むしろ現代物理学に反する決定論的世界を際立たせるものです。その上で、なぜあり得ない設定が選ばれているのかに、注意を向けさせようとしていることが重要です。

 だから、単に「面白いな」じゃなくーーそれで辻褄合わせに勤しむんじゃなくーー、もう一段抽象度を上げて「なぜ面白いのか」に注目し、映画体験を通じて監督が観客に与えようとしている体験質を意識化し、監督がそうした体験質の贈与を企図する背後にある「監督がそもそも世界はどうなっていると感じているか」という体験質まで受け取ることが必要なんです。

 大入りの映画なのに、どうしてそれがいい映画なのかを観客が分かっていない、という日本で目立つ問題は、提灯持ちはいても批評論壇が不在であることにも関係しています。ネタバレ禁止というのが典型で、先ほどの物語至上主義を象徴します。「受け取れなかった体験質を受け取れるようにする営み」にこそ注力すべきです。そこから傑作と駄作を識別できます。

『TENET テネット』(c)2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved

ーーなるほど。『テネット』については多くの人が謎解きで盛り上がっていましたが、宮台さんはこれに対して「学問を装った謎解きに意味はない」「本作を観て受け止めるべきなのは、この反学問的世界観が、僕らに何を訴えるために選択されたのかということだ」と明確に論じています。そして、そこから見えてくることが実はあるのだと。

宮台:そうです。確かにおかしな設定で(笑)、ファンは一生懸命物理学と整合しているということを言おうとするのですが、少しでも知識があれば一瞬でそれは不可能だということが分かります。もう少し詳しく言えば、途中までは整合していることで、逆にどこからが整合していないのかがハッキリ分かるようにノーランは作っているんですね。それが決定論という仮説です。

『TENET テネット』(c)2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved

ーー本書の前書きに「目的論的な書き方はなんら誤記ではない」とありますが、これもノーランの構えと通じる面がありますね。目的論に関する議論には、宮台さんの新しい展開という印象を抱きましたが、いかがでしょうか。

宮台:鋭い御指摘です。「世界がなぜ存在するのか」ということを理解するには、最終的には目的論しかないというのが僕の考えです。凡庸な目的論は、世界の中の物語的エピソードについてそれぞれ「決定されている」という風に考えてしまいます。問題はむしろ逆で、至るところに非決定論的な偶然が山のようにある世界が、なぜあるのか、ということです。

 クリスチャンとして言うならこういうことです。全能の神がなぜ、不完全であるゆえに予測不能な人間を、作ったのか。不完全な人間の行動は、全能の神から見ても予測不能です。じゃあ全能じゃないじゃないか。違います。全能の神だからこそ、不完全であるがゆえに予測不能なことをする人間を作れた。旧約聖書を書いた人々はそれがよく分かっていました。

 聖書学で言うのは、エデンの園の蛇とは何なのか、です。神は全能なので、エデンの園の蛇は神によって意図された存在です。まさに不完全な存在としての人間を作り出すために、全能の神から派遣されたんです。最も進んだ聖書学ではそう考えます。「至るところに非決定論的な偶然が山のようにある世界が、なぜあるのか」という問題はその話によく似ているでしょう。

ーーそうした世界像は、宮台さんのなかでいつ生まれたのでしょうか?

宮台:20年前に鬱から明けた頃にはまだなかった。2005年から旧約に詳しい司祭と旧約聖書の読書会をやって、5年かけて「言葉の上」での理解を彫琢しました。でもそれが徐々に体験質として腑に落ちるようになったのは、長年続けてきた映画批評の御蔭です。「なぜ世界はあるのか」という問いを抱えて映画を見続けました。出鱈目なナンパ時代の記憶が手掛かりになりました。

 本書で言えば『シン・レッド・ライン』『トロピカル・マラディ』『テネット』のような映画や『進撃の巨人』のような漫画を批評する営みを通じて体験質を獲得していきました。しばらく映画批評から離れたのは、体験質を説明する語彙が足りない気がしたからです。ゼミで存在論をテーマにし、激しく読書して、語彙が一通り揃ったので連載を再開しました。

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