『おちょやん』の根底にある人間の哀しみ 脚本・八津弘幸の構成力の妙を紐解く 

『おちょやん』の根底にある人間の哀しみ

 杉咲花演じる竹井千代の人生に、ようやく晴れ間がのぞいてきた。朝ドラ『おちょやん』(NHK総合)もいよいよラストスパートである。一平(成田凌)のあまりにも残酷な裏切りの末の離縁。さらには親の愛に恵まれなかった2人が作った「家庭」であった劇団に居続けることさえ叶わず、道頓堀を去った千代。お守り袋に入ったビー玉と家族の遺影と、「人形の家」の台本を抱え、行くあてもなく雨宿りする彼女は、奉公していた岡安で「クビ」だと言われ、帰る家もないのに飛び出したかつての千代(毎田暖乃)の姿と重なった。そんな彼女の前に現れたのは、幼い千代が奉公に出される主な要因を作った、継母・栗子(宮澤エマ)だった。

 まさかここにきて、第1週で強烈なインパクトを残して物語上から姿を消した栗子が現れるとは。第21週はまさに、これまでの『おちょやん』が一見そうとは思えないほど繊細かつ豊かに構築してきたものを土台に、物語が一気に飛躍し、その真髄を見せつける瞬間を多く見る週だった。脚本・八津弘幸が持つ、大胆な構成力の妙である。

 第104話において、ラジオドラマ「お父さんはお人好し」の出演依頼のため、千代の元に訪れた脚本家の長澤(生瀬勝久)は千代に「お芝居はもう辛い思い出でしかあれへんのですか」と問いかける。『おちょやん』はこれまで、その週の終盤で、千代はじめ登場人物たちが演じる劇中劇の中に、彼らの実生活と重なる物語を織り交ぜることによって、その本音を吐露させてきた。

 ある種そこに各週の「起承転結」の「結」の部分が凝縮されていたとも言える。千代がピンチヒッターで初めて立った舞台の上で叫んだ「どこにも行きとうない」、小暮(若葉竜也)への恋心を込めた無声映画の一コマ、舞台上での一平(成田凌)とのファーストキス。これまで「芝居」を通して描かれてきた、千代の人生の大切で鮮烈な瞬間の連続が、「お家はんと直どん」と彼女の涙の場面に繋がることで、それまでの全てが「辛い思い出」に塗り替えられてしまう。だからこそ、何があっても役者を続けてきた彼女が今度ばかりはもう、引退する決意を翻さないことに説得力がある。

 だが、そんな頑なな千代の心を動かしたのは、栗子と、栗子の孫である春子だった。千代の幼少期を演じた毎田暖乃が、見事な演じ分けで春子を演じているのも興味深い。ヒロインの幼少期を演じた女優が終盤違う役で再び登場するのは、朝ドラでは珍しくないことではある。だが、千代と血の繋がりはない栗子の孫である春子が、幼少期の千代と全く同じ顔をしているということは、朝ドラ史上最大のどうしようもない父親であると共に、千代の最大の試練であった、父・テルヲ(トータス松本)の血の濃さをも示すことにもなり、それだけでその存在をも潜ませていることにこのドラマの凄みを感じる。

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