『樹海村』は『犬鳴村』からどうアップデートされたか ほぼ同じプロットの中に感じる革新
日本には、行ってはいけない場所があるーー。Jホラーの巨匠・清水崇による新たな映画プロジェクト、「実録!恐怖の村シリーズ」。2020年には第1弾となる『犬鳴村』が公開され、2021年の2月には第2弾『樹海村』が公開されたばかりだ。1年に1作のハイペースで世に放たれる本シリーズは、2作目にしてすでにその“パターン”が確立されたかのように思う。言ってしまえば、『犬鳴村』と『樹海村』は異なる怪談モデルを扱いながらも、ほぼ同じプロットの作品なのだ。しかし、『樹海村』は前作に比べ数段アップデートされた恐怖と物語、何より演出が光り、海外でも支持されそうな映画となっていた。ではこの2作品、何が同じで何が違うのか。
※本稿には『犬鳴村』と『樹海村』のネタバレが記載されています。
実在する心霊スポットと怪談をベースに、兄弟の絆で恐怖に打ち勝つ
90年代の終わり、インターネット黎明期にブームとなった「怪村」の都市伝説。1作目の『犬鳴村』も、そのうちの一つとして恐れられたものだ。福岡県に位置する犬鳴隧道(いぬなきずいどう)こと旧犬鳴トンネルから、実際にダム建設により水没した犬鳴谷村にまつわる噂話を軸に、主人公の森田奏(三吉彩花)と兄の悠真(坂東龍汰)、末っ子の康太(海津陽)の経験する恐怖体験を描いた。最終的に、奏は行方不明になってしまった兄弟を探しに旧犬鳴トンネルへと向かうのだが、「富士の富士・青木ヶ原樹海に自殺目的で入ったが死にきれなかった者たちがそこで集落を作っている」という都市伝説を基にした『樹海村』も同じで、終盤には樹海に飲み込まれてしまった姉・天沢鳴(山口まゆ)のことを妹・天沢響(山田杏奈)が助けに行く。
そんな大筋以外にも、周囲の若者がサブ的な怪異(『犬鳴村』では電話ボックス、『樹海村』だとコトリバコ。どちらも村人の呪い)によってバタバタと死んでいく過程、主人公の過去が明かされる過程、彼女が魔王ガノンを倒しにピラミッドに単身乗り込み、そこできょうだいのどちらかが犠牲を払って、ラストは若干後味悪め。こんな風に「実録!恐怖の村シリーズ」はプロットのテンプレが完成されている。しかし、この“家族の絆”という点だけをとっても『樹海村』は圧倒的にレベルアップしているのだ。
そもそも『犬鳴村』は兄妹の絆というより、家族、そして流れている“血”の問題を扱ったはずだった。もともと村人の血が流れる祖母に持つ奏。そして犬の血を引き継いだ母親と、彼女が嫁いだ父・森田家の祖先が村を葬ったという因縁。かなり複雑な家庭環境であったのに、そこの血の繋がりというより映画はトンネルの向こうの異空間に囚われた兄と弟を助けに行く場面に盛り上がりの重きを置いている。しかし、そもそも作品の中でこの兄妹が特別仲良かったシーンもなく、絆がしっかりと描き切れていなかったからこそ、感動のようなものが薄れてしまった。お互いを、命をかけて救い合う動機のようなものが薄いのだ。それが「家族だから」の一言で済むかもしれない。しかし、最後に兄が自己犠牲を払うシーンは、妹の奏と康太を生かせるというより、村から赤ん坊を出させてあげるためだったように思えてしまう。なぜなら、呪いによって自殺した悠真の彼女が実は孕(みごも)っていたという事実が明かされたことで、なんとなく彼がこの赤子は生かしておきたい、という動機の方がしっかりしてしまったからだ。
しかし、そんな風に『犬鳴村』が色々なところに手を伸ばしたことで描ききれなかったきょうだいの絆というものを、『樹海村』はしっかり描き切った。というのも、あの映画はオープニングシーンからラストまで、ずっとあの姉妹についての物語だったからだ。幼少期にともに森から生還し、その後祖母の家で暮らしている二人。実は仲が悪い。しかし、この仲の悪さこそ姉妹の“絆”でもある。『犬鳴村』の兄弟は、すごく仲が言い訳でも、喧嘩をしているわけでもなく、無だった。それに比べ、『樹海村』は映画を通して姉妹の関係性の変化が物語に大きな影響を与えている。ともに母を森で失った時から、二人はお互いのために存在し続けていた。妹が引きこもりになっても、小言を言いつつ見捨てずに、自分の仲間内に一緒に入れてあげていた姉。その姉に対して素直になれず、しかしラストに彼女を救うために全てを投げうった妹。この説得力のある二人の絆が、クライマックスのカタルシスを生んだのだ。
そして、この「説得力」こそ『樹海村』が『犬鳴村』からアップデートされたものである。