『花束みたいな恋をした』は“最後の砦”? “コミュニケーション”を軸に考える近年の恋愛映画
「次いこ、次」と言いやすくなった時代性も考えられる。少し前なら、気の合う男女が出会うことは容易くなかった。それがデートを重ね、お互いのことを知って、好きになったりならなかったり。携帯のなかった時代は、時計台の下で待ち合わせをしていたのだぞ。遅刻しても相手に伝える手段なんてない。そういった決して簡単ではない状況下でようやく出会えた男女が、そう簡単にその関係性を諦めることなんてないのだ。しかし、今はLINEでいつだってデートをドタキャンできるし、「なんか違うかも」と思ったらよく確かめもせずにマッチングアプリで明日のデート相手を見つけることができてしまう。対話というコミュニケーションは、ひどく労力を使う。時には喧嘩という形でお互いを罵り合い、直してほしいところを指摘する方もされる方も消耗するものだ。そんな疲れること、しなくたって代わりを見つければいい。そうして逃げて、次の恋でまた同じ問題にぶつかっている人も少なくはないだろう。これは諦めることに慣れてしまったことへの対価だ。
そう、私たちは諦め慣れてしまった。上の世代の人たちは、もっと戦うのだと思う。どれだけ考え方が違っても、価値観が違っても、生活スタイルが違っても、「愛するこの人と一緒にいる」ために、お互いが歩み寄ってきたはずだ。しかし、私たちは結婚をしたって離婚への抵抗も減り、付き合っているのかいないのか曖昧な関係が増えたり、恋人との間に「別れ」という選択肢を選びやすくなってしまった。
別に、恋愛が全てではないから、やめたっていい。全てではないが、恋愛に限らず誰かと対話を続けることは自分以外の人間、他者を理解することではないだろうか。それを諦めてしまうことは、社会を諦めることと同じだ。だからこそ、恋愛という形のコミュニケーションはありとあらゆる対人関係の練習にもなるし、誰かに愛し愛されることで自己形成にも繋がっていく。
この記事で取り上げてきた恋愛映画が映した苦味は、全て真実だ。『花束みたいな恋をした』は特に、ふたりの過ごした時間のディテールが描かれているだけに、鬱度が高い。正直、あの映画を観終わって「よし、恋をしよう!」と恋愛に対して前向きな気持ちにはならなかった。本音を言えば、もうどうしたってダメだろくらいに思っている。
それでも、私たちは恋をするだろう。恋に落ちてしまうだろう。誰かを気になり始めて、好き好かれ、関係性をまた始め出す。それをどう維持していくのか、そればかりは何度も対話を重ねていく他なく、始める前から諦めたくもない。トライアンドエラーを繰り返して、学んでいくのだ、また誰かをしっかり愛せるために。
■アナイス(ANAIS)
映画ライター。幼少期はQueenを聞きながら化石掘りをして過ごした、恐竜とポップカルチャーをこよなく愛するナードなミックス。レビューやコラム、インタビュー記事を執筆する。ハッピーバレンタインズデー!Instagram/Twitter
■公開情報
『花束みたいな恋をした』
全国公開中
出演:菅田将暉、有村架純、清原果耶、細田佳央太、韓英恵、中崎敏、小久保寿人、瀧内公美、森優作、古川琴音、篠原悠伸、八木アリサ、押井守、Awesome City Club、PORIN、佐藤寛太、岡部たかし、オダギリジョー、戸田恵子、岩松了、小林薫
脚本:坂元裕二
監督:土井裕泰
製作プロダクション:フィルムメイカーズ、リトルモア
配給:東京テアトル、リトルモア
製作:『花束みたいな恋をした』製作委員会
(c)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会
公式サイト:hana-koi.jp