不安な今から明るい未来へ 『10万分の1』から純愛×難病のモチーフ、“キラキラ映画”の変遷を辿る
ここで生じた『キミスイ』的な「難病純愛映画」は、『セカチュー』に起因したそれと大きく異なっている。物語の中心にそびえ立つ病による死が、必ずしも描写されるとは限らなくなったとでもいえようか。少なくとも『キミスイ』においては、死がいつ訪れるかわからないものに様変わりしたのである。これはある意味で、 “キラキラ映画”にあった“現在”へのフォーカスが残存しているとも考えられる。死が確実に訪れる未来でやんわりと待ち構えているわけではなく、今日いきなり訪れるかもしれないという不安感が、悲しさを助長するだけではないドラマを作り出す。それはこの『10万分の1』でも同様であり、いささか物語にこの上ない残酷ささえも与えていく。
『10万分の1』の中心にある病、ALSは原因も明確な治療法もいまだに確立しておらず、数年で死に至る者もいれば、人工呼吸器を使わずとも十数年生きる者もいるという。その進行状況には個人差があり、たとえばALS患者として最も知られていたであろう理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士の場合は、60年代に発症してから2018年に亡くなるまで50年生き続けた。『10万分の1』のクライマックス、ヒロインがクラスメイトに自分の病気について打ち明ける際にこう言う。「いつ死ぬかわからない」。それはまさに『キミスイ』に端を発した「難病純愛映画」であることを、死の描写を使わずに表現しているのだ。
白濱亜嵐演じるもう1人の主人公は、恋に落ちた相手がいつ死んでもおかしくない状況を受け入れながら、ヒロインが生きていくことに対する希望を失わないように努めていく。もっとも、映画としてはクラスメイトが特別な卒業式を決行してくれることで半ば唐突に物語の幕が下されるあたりいくらか荒っぽさが目立つわけだが、原作では2人が結婚して子供を作るという部分にまで物語が広げられていくのである。
これは数年前に映画化され、ドラマ化もされた『パーフェクトワールド』にも通じる部分だ。同作の場合は事故によって半身不随になった男性と彼を支える女性の物語が展開していたわけだが、どちらも病や死を仰々しく扱って涙腺を刺激することに没頭する野暮な真似をあえて避け、“生きる”ことを純粋に求めようとしている。不安と絶望に苛まれる“現在”から、愛する人と生きていく“未来”へと実直に希望を託す。それが“キラキラ映画”を経た新たな「難病純愛映画」の形ということだろう。
■久保田和馬
1989年生まれ。映画ライター/評論・研究。好きな映画監督はアラン・レネ、ロベール・ブレッソンなど。Twitter
■公開情報
『10万分の1』
全国公開中
出演:白濱亜嵐、平祐奈、優希美青、白洲迅、奥田瑛二
原作:宮坂香帆『10万分の1』(小学館『フラワーコミックス』刊)
監督:三木康一郎
脚本:中川千英子
配給:ポニーキャニオン、関西テレビ放送
(c)宮坂香帆・小学館/2020映画「10万分の1」製作委員会
公式サイト:100000-1.com