不安な今から明るい未来へ 『10万分の1』から純愛×難病のモチーフ、“キラキラ映画”の変遷を辿る

不安な今から明るい未来へ 『10万分の1』から純愛×難病のモチーフ、“キラキラ映画”の変遷を辿る

 自分に自信が持てず、ちょっぴり根暗な一面を持ちながらも負けず嫌いで素直なヒロインが、学校で一番人気のある男子と両想いであることを知り、晴れて恋人同士になる。これがごくごく一般的な少女漫画原作の実写映画のあらすじであれば、ここまで言ってしまうと結末を暴露したネタバレになってしまうわけだが、宮坂香帆の同名漫画を原作とした『10万分の1』では、まだ映画が始まって10分ほどの展開である。

 この後、平祐奈演じるヒロインは急に歩くことが困難となり、病院で検査を受ける。そして自分がALS(金萎縮性側索硬化症)であることを知るのである。つまりこの作品は、筆者が考える“キラキラ映画”の定義「少女漫画雑誌に連載された作品を原作」に「中高生の恋愛模様を描写する」に合致する作品であると同時に、それが日本映画の潮流のひとつとして定着する以前に流行した「純愛難病映画」のひとつでもあるというわけだ。意外にも、このふたつを同時に網羅している作品は多くない。“キラキラ映画”は往々にして突飛な映画的設定を用いることなく、学校という日常生活の中で繰り広げられる「恋愛成就」という明確な結果と、それによって女性主人公(まれに男性主人公の場合もある)が「自信を得る」という副次的な作用を描くことが前提にあり、ざっと遡ってみてもこのようなタイプは『僕の初恋をキミに捧ぐ』以来ではないか。

 社会現象にもなった『セカチュー』こと『世界の中心で、愛を叫ぶ』の大ヒットによって、2000年代中頃以降の日本の恋愛映画はかなりの確率で「難病」もしくは「余命宣告」に直面した者たちの物語が乱立した時代であった。概ねヒロイン側が難病に苦しめられることが多いという男女の立ち位置の違いはさておき、このような、人が死ぬ=悲しくて泣ける=泣けるから感動作になる、という安直すぎる並列関係はまぎれもなく日本映画を凡庸にさせた一因であることは言うまでもなく、秘めておくべき感情すらも不自然に語ってしまうモノローグや、感情的な土砂降りや疾走、大声を上げたりといったアドレナリンの著しい放出をエモーショナルと錯誤させてしまうような狡猾な演出も、たしかにこの頃がピークであったような気がしてならない。

 そうした流れを食い止めたのが、『花より男子F』(これはもうひとつの日本映画の潮流であった“テレビドラマの映画化”にも一枚噛んでいる作品だが、それについては省いておく)の大ヒットあたりを契機にトレンド化した“キラキラ映画”だ。ある程度決まりきった公式の中に、ある程度決まりきった複数の要素を代入していくという、パズルの組み違いによって微妙な差異を生みだしていくこのジャンルにおいては、学生特有の悩みが描かれながらも最終的には「好きな人と両想いになれてハッピー」といった、学生時代という“現在”にのみ焦点を当てた明るくポップな恋愛模様が綴られていくのである(このように言ってしまうと身もふたもないように思えるが、その分あらゆる面の巧拙が表出しやすい点で追いかけるに値するジャンルであると考えているわけで)。

 しかし今度はこちらが乱立し、明るくも幼い恋模様に食傷気味になってきたのか、もしくは観客層も成長を遂げたのかはわからないが、ふたたび日本映画に「純愛難病映画」が求められるようになる。そのきっかけを作ったのは、間違いなく『君の膵臓をたべたい』のヒットであろう。小説を原作にしているとはいえ、いざ映像にしてしまえば「中高生の恋愛模様を描写する」と言えなくもない描写が重ねられる以上、“キラキラ映画”のターゲット層を奪取することに成功したわけだ。現に、『キミスイ』後に製作されたであろう“キラキラ映画”は著しいほどに減少する。映画の立ち上がりから公開までは少なくとも1〜2年はかかるわけで、『キミスイ』公開は2017年の夏。2019年に公開された“キラキラ映画”はわずか5本で、2020年は3本にまで減少していることがそれを証明していよう。

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