2020年を背負うキラキラ映画!? 『10万分の1』が描く、“なんでもない日常”への愛おしさ

『10万分の1』が描く“日常”への愛おしさ

 あらゆる意味において記憶に残る年となった2020年は、キラキラ映画がまったくといっていいほど公開されなかった年でもある。私たちを取り巻く社会では、どんより曇り空がつづき、少年少女がハツラツとした様子で駆けていくさまはほとんど見られなかった。そんな2020年も間もなく終わりを迎えるが、ここで満を持して大本命のキラキラ映画が登場した。『10万分の1』は、ある意味この年を背負うものにもなっていると思う。本作は、失われつつある“なんでもない日常”への愛おしさを謳っているのだ。

 “キラキラ映画”とは、一部の者たちがある特定の映画作品を呼ぶときの俗称で、その定義は曖昧である。あきらかにティーン層の観客をターゲットとした作品を「キラキラ映画だ」と断定する方が多いように思うが、筆者としてはもう少し厳密に、“少女マンガを原作とし、学園を舞台に恋物語が描かれているもの”をキラキラ映画と呼んでいる。これに当てはまるものが今年は本作と、『思い、思われ、ふり、ふられ』くらいだったのではないかと思う。しかし2年前は、年間に10数本もこの手の映画が公開されていた。この2年で社会環境も大きな変貌をとげたが、トレンドもまた大きく変化しつつある模様。いつも流行に敏感なのは、10代の若者たち。だが本作は、大人にこそ観てほしい作品でもあるのだ。揶揄する意味合いで「キラキラ映画」と呼ぶ方々にこそ、つまりは“コドモの観るもの”だと思っている方々にこそ観てほしい作品なのだ。いまや誰もが本作の射程圏内に入っていると思えてならない。

 本作で描かれるのは、高校生である桜木莉乃(平祐奈)と桐谷蓮(白濱亜嵐)の恋物語。莉乃は蓮に想いを寄せているものの、彼女は自分に自信がない。告白して気まずくなるくらいなら、友達のままでいいと考えていた。ところが、まさかの蓮の方からの告白。それから、誰もがうらやむような幸福な日々がはじまるーーというのが物語の導入部だ。

 まるでダンスのように身をひるがえしての鮮やかな“壁ドン”、プールサイドでの告白(そしてお決まりの、水中へドボン!)、「おれが守る」というような少々“クサイ台詞”などなど、本作にはキラキラ映画の十八番要素がてんこ盛り。まさに王道、キラキラ映画の決定版だ。そして何より、ふたりの距離の縮まる早さは異常である。

 白濱は2017年公開の『ひるなかの流星』で、女子が苦手で触れると赤面してしてしまう男子高生を演じており、平は2018年公開の『honey』で、男子に対してはおろか、何事に対しても臆病な女子高生を演じていた。そんなふたりが『10万分の1』では積極的な恋愛劇を展開。白濱と平それぞれの代表作であり、筆者個人的にも「傑作」だと叫んでまわった二作を経たふたりがこうして映画で出会い、キラキラ感をフルスロットル状態で放っている。いちキラキラ映画ファンとして、一連の作品を観続けてきたからこそ得られたものが本作にはある。胸の高鳴りが止まらないほどだ。

 ところが、楽しいばかりではいられない。ふとしたことから莉乃の身体が動かなくなってしまうことが起きるようになるのだ。“恋愛マジック”にかかって動けなくなる少女ーーというとちょっとロマンチックだが、彼女がかかったのは“magic(魔法)”ではなく“sick(病)”のこと。彼女を襲うのは、難病・ALSであり、ここからふたりの恋愛劇には影がさしはじめることになるのだ。

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