『おちょやん』浪花千栄子は日本映画黄金期を支えた存在 「大阪のお母さん」の足跡を辿る

 連続テレビ小説『おちょやん』(NHK総合)で、主人公の竹井千代は苦難の人生を歩みながら、女優として大輪の花を咲かせる。千代のモデルになったのは浪花千栄子。2代目渋谷天外とともに松竹新喜劇を立ち上げ、日本映画黄金期にあって溝口健二や小津安二郎、黒澤明に重用された昭和の名女優である。「大阪のお母さん」として親しまれた浪花千栄子の足跡を振り返りながら、朝ドラヒロインの系譜をたどってみたい。

苦労続きの前半生

『浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女』青山誠(角川文庫)

 「おちょやん」は「小さい」を意味する「おちょぼ」がなまったもの。転じて、茶屋の使い走りをする少女を指すようになった。

 浪花千栄子の前半生は、苦労の連続だった。浪花千栄子こと南口キクノは、1907年(明治40年)に現在の大阪府富田林市で誕生した。実母は千栄子が5歳の時に亡くなり、千栄子は小学校に行かずに、養鶏業を営む家の手伝いや3歳下の弟の面倒を見て育つ。8歳の時に父が後妻を迎えたが、継母に嫌われ、ほどなくして奉公に出された。道頓堀にある仕出し料理店の女中として給金なしで住み込みの生活を送りながら、字を学び、舞台裏から芝居の世界に触れた。

 新たな奉公先を経て、京都でカフェーの女給をしていた18歳の時に女優として初舞台を踏む。芸名を浪花千栄子に改め、数々の映画や舞台に出演した。松竹に招かれたのは1929年(昭和4年)。2代目渋谷天外らが立ち上げた松竹家庭劇に参加し、渋谷と結婚。しかし、戦後再開した松竹家庭劇では、曾我廼家十吾と対立した渋谷が退団。紆余曲折を経て昭和23年12月に松竹新喜劇が旗揚げされた。

離婚、そして「大阪のお母さん」

 松竹新喜劇の看板女優として活躍していた浪花千栄子だが、渋谷と後輩女優の浮気が発覚し、浪花千栄子は渋谷と離婚。傷心の千栄子は松竹を退団し、行方をくらませる。浪花千栄子のカムバックは、NHK大阪局制作のラジオドラマ『アチャコ青春手帖』で、同作の成功によって浪花千栄子への出演依頼が急増した。

 浪花千栄子が「大阪のお母さん」と呼ばれるようになったのは、『アチャコ青春手帖』や『お父さんはお人好し』で聞かせた大阪弁のイメージが大きい。特に後者では、大阪弁のまま全国放送され、大阪弁とともに浪花千栄子の名前も全国区になった。

 また、吉本興業の花菱アチャコと共演したことからもわかるように、社の垣根を超えて大阪を代表する女優になった。

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