デヴィッド・フィンチャー監督にとっての『市民ケーン』 Netflix映画『Mank/マンク』を解説
そして聴き逃せないのが、ドイツでナチスが台頭しつつあることが分かる会話である。映画会社の重役たちは、まだその取り扱いを決めかねている部分があり、財力や政治力がありながら、国際問題、人権問題に介入することを避けている。ハリウッドの多くがそんなナチスの問題で及び腰のなか、ユニバーサル映画のカール・レムリや、ウィリアム・ワイラー監督などは、ドイツ在住のユダヤ人を移住させる事業を行い、そこにハーマン・J・マンキーウィッツも参加していたという。本作でもその事実が紹介されているように、ハーマンは人助けを行なうような優しい心を持っていたことが理解できる。
クリエイターとしてのプライドと矜持、プライベートな感情、そして正義の心。本作が到達する、ハーマンが『市民ケーン』を書いた理由は、これらが複合された、ハーマン・J・マンキーウィッツという人間の生き方や想いそのものだったのである。
そして本作に登場する、ハーマンの弟“ジョー”ことジョセフ・L・マンキーウィッツ(トム・ペルフリー)は、脚本と監督業で、この後『三人の妻への手紙』(1949年)や『イヴの総て』(1950年)など複数の作品で、アカデミー賞各賞を獲得し、ハリウッドの頂きに到達、全米監督協会の会長に就任することになる。ジョセフは若い頃の信念のままに映画界を民主的な方向に革新しようとし、映画人の思想を弾圧する「アカ狩り」に協力する保守派の大監督セシル・B・デミルと対立することになる。このエピソードは、ジョーもまたハーマン同様に正義を貫いた事実を示している。
とはいえ、本作『Mank/マンク』では、資本家からの手痛い反撃も描かれた。いかに正しい方向に進もうとしても、カリフォルニアの地を開拓し、映画製作の土台を作り上げ、人を集めているのは資本家たちであり、自分を含めクリエイターたちの報酬を支払っているのも資本家たちであることも事実なのである。ハーストが語る「オルガンを弾く猿」の話には、そういった意味も込められている。猿が何をやろうと、猿は猿回しの人間の手の内で生きるしかないのだ。本作が描くのは、このように資本主義社会における資本家と労働者の間の普遍的な関係でもある。
その意味で『市民ケーン』の物語とは、本作で映し出される、ハーマンが酒に酔った勢いで怒鳴り散らすシーンのように、弱い立場から放った、様々な感情が込められた叫びだといえる。そして、そのことを描く本作を撮ったフィンチャー監督もまた一人の映画人として、作品に自分の想いを込めているはずである。
本作『Mank/マンク』は、このようにハリウッドの現在と過去、クリエイターの現在と過去の感情が、『市民ケーン』という作品と『Mank/マンク』という作品自体を通して、重層的に構成されている。そしてハーマンの書き上げた『市民ケーン』は、ハーストという人物を通して自分という存在を間接的に物語に焼きつけ、フィンチャーはハーマンを通して、おそらくは自分自身を語っている。そして、この作品が自分自身だからこそ、ハーマンは脚本を書き上げた後に、ウェルズと戦ってまで自分の名前をクレジットすることを頑なに要求し、フィンチャーはその姿を描いたのではないのか。
映画は多くの人間の共同作業で作られる。しかし個人が生きた証を、自分の溢れるような情熱や主張を、思い切りぶつけることもできる。ハリウッドは簡単に変わらないし、強者は弱者をこれからも利用し、搾取し続けるのかもしれない。だが、そんなシステムに中指を突き立てるパンクロックのような魂を持った『市民ケーン』が、史上最高の映画として、多くの観客を魅了し続けていることは、多くのクリエイターたちにとっての希望になっている。本作はそんな事実もあぶり出しているのだ。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■配信・公開情報
Netflix映画『Mank/マンク』
一部劇場にて公開中
12月4日(金)よりNetflixにて独占配信開始
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ゲイリー・オールドマン、アマンダ・セイフライド、リリー・コリンズ、チャールズ・ダンス、タペンス・ミドルトン、トム・ペルフリー、トム・バーク
公式サイト:mank-movie.com