『マッドマックス 怒りのデス・ロード』鑑賞前に押さえたい8つのポイント その成功の要因を探る

『マッドマックス』を讃えるべき8つの点

2.監督ジョージ・ミラーを讃えよ

 さて、そんな『サンダードーム』から30年後。ミラー監督は前作が不評だった理由を熟知していて、「これならどうだ!」とでも言わんばかりの、いやむしろ今度はほぼ90%がカーチェイスという作品『デス・ロード』をこの世に出した。

 このミラー監督、とにかく最高なおじさんなのだ。そもそも彼は、普通若くてエネルギーに満ち溢れている時にやりたがる『デス・ロード』みたいな破茶滅茶なものを70歳で作り、逆に哀愁漂う大人のリベンジものを34歳で作っている時点でただならぬ人物だ。しかも、空白の30年間は何をしていたかというと、プロデューサー業に勤しむほか『ベイブ/都会へ行く』や『ハッピーフィート』2作という、主に子ども向けのファミリー映画の監督をしていた。この経歴に狂気さえ感じてしまう! ところが、実は『ハッピーフィート』がヒットした2006年から『デス・ロード』の構想を温めていたのだ。しかも、この子供向けの映画作りをした経験がなんと『デス・ロード』の重要な“ノンバーバル”な要素に繋がっているので脱帽してしまう。これについてはもう少し掘り下げて後述する。

 何より、こういった大ヒットシリーズは続編やリブートを他の監督が権利をとって作ることが多い。その場合、やはり大きな課題となるのは過去作への理解力だ。その点、普通に考えて『マッドマックス』の生みの親であり、それとともにキャリアをスタートさせたミラー監督本人が、しっかり自分の手で我が子を現代に蘇らせたことがすでに尊い。よく知るからこそブレない世界観、しかし同じことをするのではなく視覚的にも意味性もアップデートして新鮮さを与える。ヒットシリーズを抱える監督が抱えるこの難問を、彼は嬉々としてやりのけた。最高だ!

3.ディテールまで美しい、改造車両を讃えよ

 『マッドマックス』とは常に車の映画だった。そしてその車とは、退廃した世界の中で「力(権力)」のメタファーとも言える重要な存在なのである。ミラー監督は1作目から車両に強いこだわりを見せていた。1979年当時、今のようなCG技術もない時にリアルな車両を使って、リアルなクラッシュを撮っていたからこそ出せたあの迫力。彼は時代が進んでも尚、その臨場感を大事にするべく、基本的にすべてが「本物志向」だ。『デス・ロード』に登場する、クレイジーで美しい外見の車両もすべて実際に溶接して作られたもの。そしてそれらの多くはピーター・パウンドの手がけたコンセプトアートを元に生み出されている。

 車両一つ一つが特徴的で、とにかくディテールが細かい。映画には一瞬しか映らないかもしれない内部も、「それが誰の運転する車か」ということを大事に細部まで作り上げているのだ。例えばジョーの乗る「ギガホース」はキャデラックの車体を重ねたボディで、内部はダッシュボードにこれまで狩ってきた車のエンブレムがズラリと飾られている。さらに、呼吸器官の弱い彼の咳には酸素ボンベも完備されているのだ。そして、全車に共通するドクロや赤ん坊の頭部といった車の装飾については「退廃した世界だとしても、人は美しいものを作ろうとする。原始人だって壁画を残した」と語り、強いこだわりを示した。

 ギタリストとドラマーを乗せた「ドーフワゴン」も、ステレオが無数に搭載されていて痺れる見た目だが、フュリオサの乗り回すトラック「ウォー・リグ」はやはり映画の花形。ミラー監督にとっての「神殿」でもあり、主人公たちの物語が描かれる主な舞台として活躍する。ちなみにキャストが搭乗する用、軽くして走る絵を撮る用など用途を分けてフルモデルが三台作られ、クライマックスでニュークスがクラッシュをするシーンはスタントが実際に運転しながら横転している。ミラー監督自身も撮影時にスタントマンの安否を確認したほどの、迫力のある画が撮れた。

4.CGの出る幕なし!? クレイジーなスタントマンを讃えよ

 

本作はヴィジュアルがとにかく徹底しているわけだが、それもそのはず。多くの映画のように脚本(文字)からのスタートではなく、監督と複数のメンバーがストーリーボードに描いたコミック(画)からのスタートだからだ。そしてその内容は、すでにどんなキャラクターがどの車に乗っていて、そのシーンを撮るにはどれほどの時間が必要で、衣装や小道具はこう……というように、とにかく正確なものだった。全ては長年構想していたミラー監督の頭の中に入っていたのだ。それをチームがビジュアル化していくという作業が行われたのだが、それらのほとんどはCGIに頼らなかった。もちろん、スパイクを両手に持って車に特攻したウォーボーイズも、「ウォー・リグ」の上を飛びながら爆弾を落とすイワオニ族のバイカーも、長いポールを使って車両間を移動するポールキャッツも、すべて生身の人間が演じている。

 CGIに頼らない撮り方にはコツがある。映画の中で極めて印象的な、最初に身を捧げて車に飛び乗りながら爆死したウォーボーイズを例に取ると、まずはワイヤーを使ってキャストが車に飛び乗る動作を撮る。その後、車の爆発シーンを撮って二つを合わせるというので、実はとてもシンプルだ。安全面に考慮した上で、実際の人×実際の爆破というリアルの画を撮るという手法が本作では多用されている。CGIの出番といえば背景か、ワイヤーを消す程度の極めて少ないものだ。

 スタントの中でもポールキャッツは特に凄い。サーカス出身の先鋭を呼び、まずはポールだけで動作確認。最終的に彼らは猛スピードで走る車の上でポールに乗り、大きく左右に揺れて慣れていった。主演のトム・ハーディも彼らについて「俺もあのスタントをやったけどチビるほど怖かったよ。それなのに彼らはポールの上に撮影中の4週間、ほぼ毎日いたんだぜ!?」とオフィシャルインタビューで敬意を示している。もともとミラー監督がポールの上に登って揺れるストリートアーティストにインスパイアされて作ったポールキャッツだが、そういうアイデアを全て「リアル」でビジュアル化しているのだ、この製作陣は。スタントマンたちの功績なくして、この映画はない。

5.イモータン・ジョーとウォーボーイズを讃えよ

 ヴィジュアル面ではキャラクターも素晴らしい。特にイモータン・ジョーはクリアな防弾アーマーを纏うことで、強くて教祖的な奇抜なルックスであると同時に、朽ち果てた素肌という生身の人間らしさがあって面白い。ある意味、ダース・ベイダーのクリアver.だ。ちなみに彼の目立つマスクは、馬の歯の骨を使っている。彼は股間にガンホルダーを身につけていて、その銃は彼の力、性器を意味する。しかも3つの銃をそこに収めているのだから、自己顕示欲が半端ない。また、赤ん坊のモチーフというのも映画に多く登場するが、それはジョーが最も貴重と見做し求めている宝=「崇拝」のシンボルであり、同時にそれを所有する自分の「力」の象徴と考えられる。そして何を隠そう、そんなジョーを演じる俳優はなんと『マッドマックス』でマックスの妻子を殺した暴走族のリーダー、トゥーカッターを演じたヒュー・キース・バーン! つまりマックスは、再び彼から守るべきものを守る戦いに出るというわけだ。痺れるキャスティング!

 ジョーを崇拝しながらも、途中彼を失望させたことで顔向けできなくなり、マックス側になるウォーボーイズのニュークスも映画が魅力のひとつ。ニコラス・ホルトの演技がとにかく良い。彼は他のウォーボーイズと同じ、ジョーを狂信してきた。彼のために死ねば英雄になり、その魂は再び蘇るとまで信じていたのだ。しかし彼はジョーの所有物であるワイブズの一人と心を通わせ、彼女が物ではなく人である事を実感する。それは同時に自分自身も、消耗品ではなく人間である事を認識する過程なのだ。そんな彼が人間として、人間を、愛を守るために命をかけるというクライマックスは、とても意味深い。

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