『マッドマックス 怒りのデス・ロード』鑑賞前に押さえたい8つのポイント その成功の要因を探る

『マッドマックス』を讃えるべき8つの点

6.マックスとフュリオサを讃えよ

 脇も素晴らしいが、やはりこの映画はマックスとフュリオサ抜きでは語れない。主人公のマックスをメル・ギブソンの後を継いで演じたトム・ハーディは、とにかく重厚感のある演技が良い。彼の戦闘シーンの動きや目線は、指示を受ける前からその動作の動機を完全に理解したミニマルで自然なものだったと、コーディネーターはオフィシャルインタビューにて話していた。

 映画の冒頭、拘束され髪を切られ血液袋にされるまでマックスは唸り声ぐらいしかあげない、獰猛な動物だ。長年砂漠を一人で彷徨っていたのだから、言葉なんて出うるはずがない。そういう説得力を持たせながら、彼はフュリオサとの交流を通して再び自分の声を見つける。この映画はマックスが自分のトラウマに立ち向かいながら人間性を取り戻し、アンチヒーローになる物語だ。しかし、同時にこれはフュリオサの復讐劇である。マックスは彼女の旅の同行者にすぎない。

 フュリオサを演じたシャーリーズ・セロンは、とにかく自分のキャラクターがマックスと肩を並べられる強い女性像であることにこだわった。それはフュリオサのビジュアルにも影響している。もともとストーリーボードでは彼女にも髪があった。しかし、その中で他の女性キャラクターと差異をつけなければいけない。髪型についてセロンとたびたび話し合いが行われ、最終的に彼女は自ら「もう髪もメイクもいらない。それ以外は考えられない」と提案したのだ。美しさと強さの共存。フュリオサのキャラクター性はセロン自身の気概によって発展していったと言っても過言ではない。姉さん最高です!

7.ワイブズたちの抵抗! フェミニズム視点を讃えよ

 そんなフュリオサが命をかけてジョーから奪い、共に自由を求めて逃げた5人のワイブズの存在が、本作では何よりも意味深い。彼女たちは最初、ジョーによって付けられた鉄のパンツ(局部にはトゲが施されていて、彼以外の人間が触る事を禁じている)が首輪のようにつけられ、白いコットンで体を隠すように覆われている。しかし、物語が進むにつれ、纏う布が落ちていき、彼女達の肌が露出していく。先にも述べた通り、これはフュリオサによるジョーへの復讐劇だが、それと同時に女性を「子産み」のための物として扱ってきた男への抵抗と解放、復讐の物語なのだ。

 ワイフたちは、与えられた名前からジョーとの関係性がそれぞれ違うことが窺える。特にお気に入りかつリーダー格のスプレンディド(見目麗しき)は、唯一臨月に近いお腹の大きさでの逃亡だった。このルックスが、とにかく母となった女性の神秘性とパワーをダイレクトに訴えかけてくる。しかも、彼女はただの母親ではない。演じたロージー・ハンティントン=ホワイトリーは「レイプによって妊娠した女性」の体験などを探り、役作りに生かした。それがあってこそのスプレンディドの表情であり、トラックに寄り掛かりながらジョーに向かってお腹を突き出すようにして睨みをきかすシーンは、彼女の宣戦布告と決別を意味する。

 メンバーの中にはもう一人、妊娠をしているワイフがいる。『ネオン・デーモン』で印象的だったアビー・リー演じるダグは、少し不思議ちゃんでスプレンディドよりも怯えた様子でいる。なぜなら彼女はスプレンディドに比べて、まだ受胎して間も無くお腹も平らであり、命を授かったことの自覚がまだ少ないのと、それを受け入れることに対する葛藤があるから。しかし、そんなダグもスプレンディドの勇姿を見てお腹の子に語りかけはじめるといった成長、母性の目覚めも映画の後半で描かれていて素敵だ。

 そうした彼女たちに混ざってマックスとニュークスがいる。マックスは最初から相手が女だろうと、特別扱いなんかせず容赦無い。そしてニュークスも先述の通り、彼女たちを男の所有物ではなく、同じ人間として理解し、ともに戦い守り合う。この二人こそ、フェミニストの鑑であり正義として描かれ、ジョーという女を力で支配する男が悪として描かれている。その意味で、『デス・ロード』は実はかなり女性をエンパワメントするフェミニズム映画でもあるのだ。

8.ノンバーバルだからこそ伝わるアクションの真価を讃えよ

 さて、この映画はこれまでに語ってきた魅力をすべてヴィジュアルで描いている。説明なんかない。説明どころか、セリフなんてほとんどない。普通、アクション映画はダイアローグとアクションが分かれているが、本作の最も大きな特徴はそれが同時に行われ続けていることだ。マックスとフュリオサしかり、登場人物は必要最低限のことしか話さない。ある意味で、ノンバーバルコミュニケーションとも言える。実はこの描き方は、先述したミラー監督の子供向け映画を撮った経験が大きく生かされている。というのも、子供に理解させるためには言葉ではなく視覚でキャラクターがどんな人物なのか、何が起きているのかということを理解させることが重要だからだ。

 だから、本作を理解することは難しくない。言語を理解せずとも、視覚で物語を追うことができる、そういう映画だから多くの人が楽しめたのだ。ディテールでもそれが徹底されていて、例えばラストに砦に帰ってきた時、監視役として穴から出てきた市民には足がない。その人物を一瞬映しただけで、それが終身的に義務付けられた仕事であり、ジョーの非情さを強調、説明している。無駄なことは全部省いて、それをヴィジュアルと動き(アクション)にすべて託しているのだ。むしろ言葉がないからこそ、伝わるものがある。つまり「デス・ロード」はアクション映画の真の実力と、あるべき姿を魅せてくれた、偉大な映画なのだ。讃えよ!

 実はミラー監督は本作の続編やスピンオフの構想もすでに練っている。配給会社であるワーナー・ブラザースと支払いを巡って訴訟沙汰になっているが、それが解決すれば再びポスト・アポカリプスの砂漠を舞台にしたアツい物語が見れるかもしれない。その日まで、心にいつもV8を掲げて。

■アナイス(ANAIS)
映画ライター。幼少期はQueenを聞きながら化石掘りをして過ごした、恐竜とポップカルチャーをこよなく愛するナードハーフ。レビューやコラム、インタビュー記事を執筆。InstagramTwitter

■放送情報
映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
フジテレビ系にて、9月12日(土)21:00~23:10放送
監督・脚本・製作 :ジョージ・ミラー
脚本 :ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラソウリス
<出演>
マックス:トム・ハーディー(AKIRA)
フュリオサ:シャーリーズ・セロン(本田貴子)
ニュークス:ニコラス・ホルト(中村悠一)
イモータン・ジョー:ヒュー・キース=バーン(竹内 力)
スプレンディド:ロージー・ハンティントン=ホワイトリー(たかはし智秋)
ケイパブル:ライリー・キーオ(植竹香菜)
ザ・ダグ:アビー・リー(大津愛理)
フラジール:コートニー・イートン(潘めぐみ)
リクタス・エレクタス:ネイサン・ジョーンズ(真壁刀義)
トースト:ゾーイ・クラビッツ(田村睦心)
(c)Warner Bros. Feature Productions Pty Limited, Village Roadshow Films North America Inc., and Ratpac-Dune Entertainment LLC

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる