深田晃司監督が明かす、『よこがお』製作の裏側 「曖昧な世界をそのまま描くことが大事」

深田晃司監督が語る『よこがお』

誰もが被害者となりうるし加害者にもなりうる

――監督の中で言語化されていることを引き算していったように見えますが、曖昧なまま撮った部分もあるのでしょうか?

深田:曖昧なまま進めていくうちに後から変更していくという感じですね。脚本を直している時や編集している時は粘土をこねくりまわしているようなものなので。とりあえず付けてみたりとりあえず外してみたりして、たまたま外してみたら、いい形になったなと思って進めてみたり。

――撮影段階では脚本は固まっていたのですか?

深田:撮影のための設計図なので決定稿では決まってましたが、現場で変わったところもあります。

――構成がしっかりと作ってあるので、ストーリーは変えようがないですよね。

深田:細かい演技のテンションは俳優に演じてもらって変わった部分はありましたが、出さなきゃいけない情報は決まっているので、そこまで現場の即興で変わっていくということはなかったです。ただ、編集で削ぎ落としていった部分もあります。

――市子さんが「(機械的に)メールをCCで送るのが嫌だ」という話をしますが、その話に象徴的なように、“仕事の距離感”は難しいなと思いました。終末医療やヘルパーの仕事をしていると家族ぐるみの付き合いも多くなるし、濃密な付き合いがあったからこそ、ああいう事件が起きてしまったという側面もあるわけで。

深田:事前に訪問看護の方に取材をしたのですが、プライベートで家族とああいう接触を持つというのは基本的にはご法度なんですよね。でも、やっちゃう方もときにはいるようで、それが原因でトラブルにもなってしまう。人間関係が濃密になればなるほど、トラブルが起きるというのは訪問看護に限らないことですよね。

――ハラスメント等のトラブルの根底にあるのはそこですよね。契約で明文化されてない人付き合いの領域で起きることなので、関係が良好な時はいいのですが、愛憎が憎悪に反転した時に、2人だけの秘密として話していた話が外に暴露されてしまう。

深田:そういう意味でも市子と基子は似たもの同士で、誰もが2人の中にある部分を持っているのだと思います。基子は市子がどういう痛みを持つかというのを想像できなかったからこそ、ああいう行動に出てしまったわけだし、市子は市子で仲良くしていると言いながらも、誰にでも対等に接しているつもりで、基子がどんどん距離を縮めてきていてもそれに気づくことができなかった。相手の親密度に対して市子は鈍感だったとも言えるわけです。

――深田監督が手がけたドラマ『本気のしるし』(名古屋テレビ)も『よこがお』も、被害者と加害者の境界が曖昧ですよね。

深田:被害者と加害者は二項対立ではなく、誰もが被害者となりうるし加害者にもなりうるという曖昧な領域で私たちは生きているということです。例えば、裁判だと曖昧では許されないじゃないですか。システム上、加害者と被害者をはっきりと決めて、罪と罰をはっきりさせなければいけないけれど、曖昧なものを曖昧なまま描けるのが表現の良さだと思っているので。世界は自分にはこう見えている。それが曖昧だったら曖昧なまま描くということが大事だなと思っています。

――『よこがお』で起こったことを箇条書きにして時系列でつないでいくと、ワイドショーで報道されるような事件に回収されかねないのですが、存在したであろう感情の流れは見ている側が想像するしかない作りになっています。いろんなことが具体的なのに、人の心だけは曖昧というか。

深田:そういう映画を毎回撮りたいと思っています。昔、作った映画について、知り合いに言われて気に入っている感想に「すごく歩きやすい道を歩いていると思っていたら迷路に入っていった。そんな映画だ」というのがありまして。それは自分の中では理想だなと思ってます。

――まさに『よこがお』も気づいたら迷路の中にいた感じでした。市子とリサは二重生活をしているのかな?と思ったりして。

深田:双子と思っていた人もいるそうですね。まぁ、いろんな見方ができる作品が良い映画だと思っています。

――辰男(須藤蓮)とサキ(小川未祐)のことは、小説では少し触れていますが、映画では2人の間で何があったのかは描かれてないですよね。あくまで報道でしか知らされない。

深田:オーディションの時には設定を作って辰男とサキの出会いの場面を演じてもらったのですが、何が起きていたのかを明確にすることは、この映画にとってプラスにならないと思ったんですよね。ああいう事件が起こると事件の被害者が加害者と同じように社会に混乱をもたらした者として見られてしまい、近所に居づらくなって引っ越してしまうということが結構あるんす。社会心理学で公正世界仮説というらしいのですが。この映画においては、真実を追求することに時間を割くことにはあまり意味がないと思い、何が起きたのかは関係なく、サキが憶測でいろんな噂を言われて苦しんでいる、その痛みが描ければいいと思いました。

――辰男のことも、実際にこういう事件が起きたら「キレる若者」や「心の闇」みたいな言葉で処理されるのだろうなと思いました。深田監督の映画は、通俗的な言葉で消費された存在に対して、違う視点を与えてくれる作品だと思います。

深田:物語は極端な部分を描きがちなんですよね。心の闇を抱えた少年、もちろんそういう方はいるし、心に苦しいものを抱えているかもしれないけど、そういう人たちをピックアップして社会を語る時に、どこまで普遍的な部分を描くことになるのかという思いもあります。時代を反映している社会問題をとりあげたい気持ちはわかるんだけど、自分は、そこにある、もっと普遍的な孤独を描きたいと思って映画を作っています。マスコミのメディアスクラムの問題も背景としてはあるのですが、そこは本質ではなくて、巻き込まれた市子が自分の孤独と向き合うことの方が大問題なんじゃないかなと思っています。

――以前、『本気のしるし』についてインタビュー(ドラマ『本気のしるし』特集2 深田晃司&土村芳 Wインタビュー/yahoo! JAPANニュース)させていただいた時に、「人は自分がどういう人間かなんて意識しないし、自分の心なんて自分にはわからないのだ」と話していたことが印象に残っているのですが、深田監督の考えていることと、「心の闇」みたいな言葉で語られることは似ているけど違うと思うんですよね。「心の闇」という言葉で処理した瞬間に失われることが、あまりにも多すぎる。そこでわかりやすい言葉に逃げないで、留まってくれている感じがするんです。

深田:「心の闇を抱えた若者が~」と言ってしまった瞬間に、その人がものすごく特殊な存在になってしまうんですよね。しかも表現することで単純化されるし、名前を与えることによって心のどこかで自分とは違うという線を引いてしまうことになる。今、話題になっている植松聖被告のこともそうですよね。こんなことするのは人間じゃないと言いますが、こんなことをするのが人間だと自分は思うわけですよね(注:植松聖被告は自身が職員として勤務していた相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入居者ら45人を殺傷した)。

 彼がネオナチに傾倒していたらしいという報道が流れると「理由があった」「自分とは違う変な人なんだ」と心のどこかでホッとするわけです。でも彼も単なる人間で、そんな簡単に私たちとの間に線を引けるものではない。そういった意識を持てるかどうかで作品の奥行きが変わっていくのだと思います。

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