『スカーレット』は極めて現代的な朝ドラに 『獣になれない私たち』晶に重なる喜美子の苦難
101本目の朝ドラ『スカーレット』(NHK総合)ほど、優しく苦しい朝ドラがこれまであっただろうか。明るく健気で、常に誰かを思いやり、弱音も吐かず働くしっかり者の女性であり、出会う人の多くが好きにならずにはいられない主人公・川原喜美子(戸田恵梨香)。豪快な笑顔が魅力的な喜美子は、テレビを観ている視聴者の心も癒し、夢中にさせている。
それだというのに、なぜ彼女の置かれている状況はここまで苦しいのか。7話において、借金取りの男が幼少期の喜美子(川島夕空)に「悪人は必ずしも悪人とは限らない。どんな人間でもええ面、悪い面がある」と語りかけた言葉そのままに、『スカーレット』の世界には“悪人”がいない。皆が皆、喜美子のことが大好きで、喜美子に頼りきりな、優しく憎めない、ただ、「ちょっと心が弱いだけ」「ちょっと世界が狭いために、視野が狭いだけ」な人々なのである。
従来の朝ドラのヒロイン像、特に平成の朝ドラの多くは、地方でたっぷりの愛情を受けて育ったヒロインが、何かをきっかけに夢や目標を持ち、頑固な親の大反対を押しきって夢を語り、上京もしくは大阪に向かい、努力の末に夢を叶える構造が主だった。前作の『なつぞら』パターンが、戦災孤児であるというバックグラウンドがあるものの、ヒロインの生き方という本筋としては王道パターンであると言えるだろう。
だが、喜美子の場合、「夢も大事、ほやけどお金あっての夢」と彼女自身が言うように、夢に向かって突き進むという、朝ドラのヒロインの第一段階と言えることすらできない状況に置かれている。幼少期から、同級生の照子(横溝菜帆/大島優子)や信作(中村謙心/林遣都)とは違い、補助食程度の給食を食べることすら危うく、2人が当たり前のように享受する自由気ままな学生生活も送れない。多くの成長したヒロインが溌溂さを示すために行う自転車での全力疾走も、借り物の自転車で行われたものであった。
その背景には、人々の心に残り続ける戦争の記憶や複数のエピソードからも想像に難くない、当時の社会状況の過酷さがもちろんあるだろう。喜美子の置かれている状況は、「おなごに学問はいらん」という現代人からしたら信じられないような父親の言葉がありえなくない時代、田舎の貧しい一家の長女として生まれた彼女ゆえの状況であると言える。
その一方で、喜美子の置かれた状況は、近年の複数のドラマや映画で描かれる、主人公にとって八方塞がりで閉塞感のある現代社会と酷似している。全員が全員優しくて、個性的で憎めないキャラクターであるからこそ、底なし沼のように救いがない。38話で父親・常治(北村一輝)による盛大なちゃぶ台返しが行われ、妹たちが泣き怒る、川原一家の一騒動が繰り広げられる。せめて職場ではイッセー尾形演じる “深先生”に癒されるかと思いきや、喜美子の覚悟は「遊び」と勘違いされていたという事実が判明する。さらには優しい仕事仲間たちが追い討ちをかけるように「適当に楽しゅうしよう」と微笑みかける。