是枝裕和監督の切実なる願いが結晶 『真実』は映画と人間の幸福な関係を描く

『真実』が描く、映画と人間の幸福な関係

 葉が秋めいた木は、人を郷愁へといざなう。幼い頃の家族との思い出を振り返るときのような、懐かしくて切ない感覚をふと覚える。是枝裕和の最新作『真実』の舞台である一軒家の庭に生える紅葉の木は、ルイス・ブニュエル『昼顔』(1967年)のファーストシーン、カトリーヌ・ドヌーヴの乗せた馬車のかたわらに生える木々の葉が、ほんのり紅く色づいていた記憶を手繰りよせる。『昼顔』が名画であり、主演のドヌーヴもまた、比類なき大女優であることは、疑いようがない映画史的事実である。本作『真実』は、ドヌーヴが背負うそんな大女優のオーラをそのまま映画に取り込み、最大限に発揮してみせている。

 女優の母・ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の家を久しぶりに訪れた、脚本家の娘・リュミール(ジュリエット・ビノシュ)。ファビエンヌが自身の自伝本『真実』を出版するところから物語は始まる。自伝本を読んだリュミールは、綴られていた「嘘」をファビエンヌに問いただし、母と娘の愛憎塗れる「真実」が次第に露わになってゆく。その自伝本で書かれるファビエンヌの半生のすべてを、観客である私たちは読むことはできない。映画は回想シーンで提示することも選ばず、母と娘の過ごしてきた日々は、彼らそれぞれの「記憶」を頼りとした「語り」のみによって知らされる。

 この映画で語られる「記憶」や「語り」といったモチーフ、そして「映画内映画」という入れ子構造は、是枝監督の第2作目にあたる『ワンダフルライフ』(1999年)と通ずる。『ワンダフルライフ』は、与えられた1週間でもっとも大切な人生の思い出を選ぶ死者たちと、その死者たちを死後の世界へと導く従業員たちを描いたファンタジー作品である。死者が選んだ思い出は、従業員たちの手によって映画化される。実はこの従業員というのは、思い出を選ぶことができなかった人間なのだが、従業員の望月(ARATA/現・井浦新)は、ある死者の映画を制作する過程で、自分も誰かの幸せに参加していることに気づき、ようやく死後の世界へと旅立ってゆく。「映画を撮る」ということが、1人の男に救いをもたらしたことを幸福な結末として描いた『ワンダフルライフ』は、「映画の希望」を描いた映画でもあった。

 一方『真実』では、映画を通して現役の女優であるファビエンヌが『母の記憶に』という新作映画を撮影する。この映画の原作となった、ケン・リュウのSF短編小説『母の記憶に』では、時間を遅らせる宇宙船に乗り込む余命幾ばくもない母と、その娘の物語が描かれる。母は数年おきにしか娘の前に現れることができず、娘はそんな母に対し、成長と共に複雑な心情を抱えてしまう。「誰にでも嘘をついてきた」と語る娘と、時折しか娘の人生に現れない母は、『真実』の母と娘とちょうど重なり合う。リュミールが慕っていたファビエンヌの亡きライバル女優・サラの再来と言われるマノン(マノン・クラヴェル)が娘役を演じる映画『母の記憶に』は、リュミールとファビエンヌの和解にとって、重要な意味を担うこととなる。やはりここでも、「映画を撮る」ということが人と人にとっての希望となっている。つまり『真実』は、人間を語る映画であると同時に、映画を語る映画でもある。そして、映画と人間の幸福な関係を描く映画でもある。

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