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『ジョーカー』が際立った作品に仕上がった3つの理由 一見シンプルだが考えれば考えるほど複雑に

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 『ジョーカー』(2019年)は至ってシンプルな映画に見えて、考えれば考えるほど複雑になっていく。

 精神に問題を抱えている中年男性アーサー(ホアキン・フェニックス)は、要介護の母親との2人暮らし。カウンセリングを受けながら、ピエロの仕事でわずかな稼ぎを得て、いつの日かコメディアンとして成功する日を夢見ている。しかし、最悪にもほどがある不幸な偶然の連続によって、彼は稀代のヴィラン“ジョーカー”へと変わっていくのだった。

 あらすじだけを追えば、本作は1人の男が怪物的な狂人へ変わっていく物語だ。恐怖・不安・孤独は、人を狂わせる。負のスパイラルに陥ってしまった人間が、遂には取り返しのつかない凶行に走ってしまう。こうした物語は、過去にも様々な作品で語られてきた。極端な表現をすれば「手垢のついた」と付け加えてもいいだろう。しかし、本作は過去の映画の中でも間違いなく際立った作品に仕上がっている。なぜここまで仕上がった印象を受けるのか? 個人的に、3つ理由を上げたい。

 1つ目は、主演のホアキン・フェニックスの圧倒的な演技力だ。ジョーカーに欠かすことのできない「笑い」の演技はもちろん、監督の命令で骨と皮だけの肉体で魅せるダンスの数々、表情の1つ、一挙手一投足、すべてが不穏で禍々しい。彼が出てくるだけでスクリーンに緊張が走る。この映画はホアキンがいなければ成立しなかったと言ってもいいだろう。どこを切り取っても魅力的で、「あのホアキンが凄かった」話だけでも一晩は語れるだろう。ちなみに個人的なホアキンのベスト・モーメントは、あの「背中」のシーンだ。肉と骨で作られた“人間ではない何か”が動いているようで、子どもの頃に見ていたらトラウマになっていたかもしれない。男は背中で語るというが、あれほど説得力のある背中もないだろう。

 2つ目は、これが“ジョーカー”の映画であることだ。私がこの映画を見終わって最初に思ったのは、「よくこの企画が通ったな」という驚きだった。この映画にはスーパーヒーロー映画のスピンオフと聞いて、真っ先に連想する要素、ド派手なアクションもキャラクター同士のコミカルな掛け合いも存在しない。精神に問題を抱えた中年男性が次々と不幸に襲われ、苦しみ、嘆き、パンツ一丁で踊り狂う。これにポンっと金が出たという事実と、“ジョーカー”というキャラクターを使う許可が下りたのが凄い。ちなみに『映画秘宝 11月号』に掲載のトッド・フィリップス監督インタビューでも、このように語られている。

「彼らが権利を所有するキャラクターを使い、ここまで自由に作れるなんて、言い出しっぺの私がいちばん驚いているくらいだ。いちばん大胆なのはむしろワーナーとDCだよ(笑)」

 ごもっともである。ただ、スーパーヒーロー/アメコミ映画は、今やハリウッドのエンターテインメント映画の本道だ。稀代のお祭り映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)を持って一区切りを迎えたMCU。そしてMCUに対するカウンター的なブラックコメディ『ザ・ボーイズ』(2019年)などがある中、まったく異なる切り口から自社のキャラクターを売る映画を作ろうとしたとき、こういった形の企画を動かすのは、むしろ商売的にも必然だったのかもしれない。ともかく、この映画が存在していること自体が奇跡のようだ。

      

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