奥山玲子を通して見るアニメーション業界の黎明期 『なつぞら』奥原なつとの共通点は?

奥山玲子、『なつぞら』奥原なつとの共通点は?

 NHK連続テレビ小説『なつぞら』が快調なスタートを切った。初週の平均視聴率は22.1%と過去5年の朝ドラの中で最高の数字を記録。戦災によって過酷な境遇に置かれた主人公・奥原なつ(広瀬すず。幼少期を演じるのは粟野咲莉)の健気な頑張りと、彼女を取り巻く人々とのあたたかな交流は、いかにも100作目らしい“王道の朝ドラ”を見ている気分になる。最近はストレートに“草刈おんじ”とも言われるようになった柴田泰樹(草刈正雄)の存在感も素晴らしい。

 『なつぞら』は、成長したなつがアニメーションの世界へと飛び込む物語だ。すでによく知られているように、主人公のモデルは実在したアニメーター・奥山玲子だと言われている(2007年に70歳で逝去)。ここでは、日本の女性アニメーターの先駆者だった奥山の足跡をあらためて振り返ってみたい。

「漫画映画」の世界に飛び込んだ女性

 奥山は昭和11(1936)年生まれ。なつは昭和12(1937)年生まれという設定だから、ほぼ同じ年と言ってもいいだろう。

 宮城県仙台市の教育に厳しい家庭で育った奥山は、東北大学の教育学部に入学するも、中退して家出同然で上京。絵が好きだったため、外国語大学を受験するまでのアルバイトとして、設立されたばかりの東映動画に応募。「動画」を「童画」と間違えて、絵本の仕事ができると勘違いしていたという(朝ドラのヒロインっぽいエピソードだ)。そのまま働きはじめた奥山は、結局、大学受験を取りやめて社員として入社する。昭和32(1957)年のことだった。

 東映動画とは、現在の東映アニメーションの前身で、昭和31(1956)年に設立された。初代社長は親会社・東映の社長だった大川博氏。『なつぞら』では「東洋動画」として登場する。社長の名前は大杉満である。

 奥山は日本最初の長編アニメ(当時は「漫画映画」と呼ばれていた)『白蛇伝』(58年)に動画スタッフとして参加した。『白蛇伝』の予告には大川社長が登場し、完成したばかりの東映動画のスタジオを紹介、そこで働くスタッフの様子が映し出される。この中に奥山がいたのかもしれない。『白蛇伝』の原画はアニメーターの大工原章氏と森康二氏がほとんど2人で描いていたという。動画には奥山のほか、後に『ルパン三世』などを手がける大塚康生氏、『ドラえもん』などを制作するシンエイ動画の創立者・楠部大吉郎氏が含まれていた。

 『白蛇伝』を観て感動してアニメの世界を志し、東映動画に入社したのが宮崎駿監督。『なつぞら』でアニメーション監修を担当し、タイトルバックや本編のアニメーション制作を行うササユリ代表の舘野仁美氏は、宮崎駿氏、大塚康生氏が手がけた『未来少年コナン』を観てアニメの世界を志してアニメーターになり、その後、スタジオジブリで活躍した。こういうつながりも面白い。

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