『キャプテン・マーベル』が愛と正義の戦士になるまでの軌跡 その精神はセーラームーンに通ずる?
ブリー・ラーソンがヒーローになるまで
「ヒーロー映画は男性のもの」。そんな言葉はもう古い。自分を信じ、飛び込めば、誰もがスーパーヒーローになれる。しかし、努力なくして夢は叶わず。今回キャプテン・マーベルに選ばれたブリー・ラーソンも、MCUの歴史と同様に長い道のりを辿ってきた。
6歳から演劇を学び、ジェイ・レノのトークショーでのスキット出演でショウビズ界デビューした彼女は、演技のほかシンガーの経験を積みながらも2012年の『21ジャンプストリート』までブレイクしなかった。幼い頃に両親が離婚したため、『ルーム』のジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)とママ(ラーソン)が住んでいた部屋ほどのアパートで、母と妹と暮らしていたそう。NPRのインタビューでは、ジーンズとシャツを2枚ずつ持ち、カップラーメンで生活していたと語っており、かなり苦労した子供時代であった。
下積み時代が長かった彼女だが、その分、実力は確かなもの。『ルーム』で監禁された母親を演じるときは食事制限のみならず太陽光を避けた生活を送り、『キングコング:髑髏島の巨神』では戦場カメラマン役のために、本物のカメラマンに会いに行ったり、カメラの扱いを学んだりするほどストイックな役作りで有名だ。今回キャプテン・マーベル役に起用されたのも、「芯の強さ」だったと製作総指揮のジョナサン・シュワルツは語っている。
『キャプテン・マーベル』でも9カ月、彼女は、ブラッドリー・クーパーやマット・デイモンらハリウッドセレブ御用達のトレーナー、ジェイソン・ウォルシュと共に身体づくりに励んできた。彼女のInstagramで確認できるトレーニングの様子は、約97キロのリフティングや、約11キロのチェーンを腰に巻き付けたまま腕立て伏せなどハードなものばかりで、しまいには2,700キロを超えるジープを1分間動かすというリアルスーパーヒーローな一面を見せている。さらにこれらに加え、実際に戦闘機に乗り、毎回吐くほど訓練していたのだとか。「衣装を着るだけで終わりたくなかった」、そんなラーソンの熱意が本作には詰まっている。
しかし、これだけ努力家な彼女でも勝てないことが1つあった。実は、ラーソンは重度の猫アレルギーなのだ。“猫映画”との呼び名も高い本作では、12歳の猫レジー(とアーチー、ゴンゾー、リッツォのスタント猫)が演じるグースが重要キャラクターとなっている。ラーソンはUSA TODAYのインタビューで、「ジョークみたいな話だけど、あれだけのスタントができたのに、猫が大きな障害だったの」と話していたが、ケビン・ファイギはキャスティングの際「人間らしくて、親しみやすくて、観客が共感できる人物」としてラーソンを起用したとコメントしている(参考:https://variety.com/2016/film/news/marvel-kevin-feige-interview-spider-man-captain-marvel-diversity-1201923851/)。長い間チャレンジし続け、ストイックでありながら、チャーミングな一面を持つ彼女は、キャプテン・マーベル役に抜擢されるべき人物だったことに間違いない。
『セーラームーン』と『キャプテン・マーベル』
そして、日本のファンには嬉しいことに、ラーソンは実生活のロールモデルに「セーラームーン」を挙げている。BuzzFeedのインタビューでは、「学校から帰ったら一秒も逃さないように見ていた」と明かしていて、さらには自身のTwitterでセーラームーンとキャプテンマーベルをかけ合わせたファンアートをコメント付きでリツイートした。
This! THIS!!!! https://t.co/eFymcwxozQ
— Brie Larson (@brielarson) March 14, 2019
世界経済フォーラムが昨年12月に発表した「男女格差報告書2018年版」によれば、日本のジェンダー・ギャップ指数は149カ国中110位。3月8日からの公開遅れは、マーケティング戦略のみならず、日本が国際女性デーに対してまだまだ関心が薄いからなのではないかとも考えられるが、日本は「女性が闘う」ということにおいて抵抗がないことを誇りに思っていいのではないだろうかとも思う。
1995年。ちょうど『キャプテン・マーベル』の舞台となった年に生まれた我々の世代は、子供の頃に憧れるヒーローの選択肢の幅が非常に広かった。1993年に「キッズステーション」、1997年に「カートゥーン ネットワーク」、1998年に「アニマックス」、そして2003年に「ディズニー・チャンネル」と、自我が確立する時にアニメ専門チャンネルが次々と生まれ、国内外、そして時代問わず様々な正義を目の当たりにする環境が整っていた。
子供部屋に溢れるおもちゃたちを思い起こせば、『おジャ魔女どれみ』『美少女戦士セーラームーン』『ぴちぴちピッチ』『カードキャプターさくら』『少女革命ウテナ』『風の谷のナウシカ』『パワーパフガールズ』『キム・ポッシブル』などなど女性主人公のヒーローものはキリがない。
しかし、日本の女性たちは何年も前から同性ヒーローとともに育ってきたのにも関わらず、社会進出が遅れていることに疑問が生まれる。2年前、雨と猛暑がぶつかり合う新宿・歌舞伎町で行われた『ワンダーウーマン』のジャパンプレミアでは、日本版イメージソングを担当した乃木坂46の齋藤飛鳥さんが、同作について「強い女性って嫌味があるかと思ったんですけど、ぜんぜんそんなことなくて……」と語っていたのは大変ショックだった。
先に言っておくが、決して齋藤飛鳥さんが悪いのではない。当時18歳だった彼女、そして日本の女性が「強い女で申し訳ない」と思う必要がある環境で生きなければならないことに問題があるのだ。キャプテン・マーベルもといキャロル・ダンバースが経験してきた、抑圧が確かにここにも存在する。
『セーラームーン』と『キャプテン・マーベル』、この2つを引き合いに出すのはきっと両方のファンから望まれていないことだろう。そんなことを承知で言うのだが、この2つには同じスピリットが宿っている。それは誰かのためではなく、自分のために強くなるという点だ。『美少女戦士セーラームーンR』には、コーアンという、愛されるために化粧をし、髪が乱れただけで殺そうとする悪役が登場し、視聴者に真の愛を問う。その一方でセーラー戦士と、キャプテン・マーベル、ブラック・ウィドウ、スカーレット・ウィッチ、ガモーラ、オコエらMCUの女性ヒーローは、力を借りるために鎧を付けるのではなく、自分の潜在的な能力を活かし「メイクアップ」する形で闘う。
日本にはたくさんの模範的な女性ヒーローがいるのにも関わらず、その勇気がアニメの垣根を超えられないのは、キャプテン・マーベルが力を抑制されていたように、真のパワーを押さえつける外部の力が働いているからだろう。セーラームーンやほかの日本の女性ヒーローは、ミニスカートなことが多く、男性ウケを狙っているという指摘もあるが、そんなのスラットシェイミングだと私は思う。化粧もファッションも整形も、本来の力を発揮する手助けになるのなら肯定される世の中になってきているように、何を言われようと、自分の強さを信じ、好きなものを身に纏い、諦めずに立ち上がれば、本当のパワーが覚醒する。日本における女性ヒーローは、10代であることが多く、現実世界で我々が制服と別れを告げた途端、ヒーローに頼っていることは大人げないように思われる風潮があるが、そんなことはない。『キャプテン・マーベル』は、可能性を否定し続けられた全ての人々へのラブレターだ。男女問わず「強くて最高でしょ」と胸を張って言える世の中に少しずつでも変えるために、人々は何歳になろうとヒーローの精神を心に灯してもいいのではないだろうか。【※以降、一部ネタバレが含まれます】