『ジュリアン』全員が救われうる選択肢はあったのか? DV問題の告発にとどまらない重層的な語り

『ジュリアン』の重層的な語り

 父母が離婚したからといって、親と子の関係が切れてしまうわけではありません。そういう意味では、共同親権は本来の「あるべき姿」といえるでしょう。実際、フランスだけでなく多くの国は離婚後共同親権です。一方で、日本では、離婚後共同親権を導入することについて、関係者の間では慎重論が根強いです。その根拠となるのは、まさにこの映画におけるアントワーヌのような「有害な元配偶者」が一定数存在することです。有害な元配偶者を遠ざける必要がある際に、共同親権では関係を断ちきれない、という訳です。

 この映画も、その文脈において共同親権の問題点を描いた映画だという意見がありますが、筆者はそのような見方には賛成できません。

 その理由の1つは、アントワーヌのような凶行に及ぶ元配偶者はあくまで一部だからです。彼のような例外的に危険な人間が存在するからという理由で、その他大多数の有害ではない元配偶者から親権を奪うことを正当化するのは難しいはずです。有害な元配偶者の存在と、離婚後の親権を誰が持つべきかというのは、無関係ではなくても、やはり別の問題です。

 もう1つの理由は、この映画自体が、そのような単純な図式化を許していないからです。

 この映画は、悪役であるアントワーヌが凶行に及んでしまう、その内面について想像力を巡らすように観客を誘導していきます。

 アントワーヌはミリアムに捨てられたと感じ、被害者意識を抱いています。

 ミリアムが彼の許から逃げたのは、彼の暴力が理由であり、暴力を振るった側が被害者意識を抱くのはちゃんちゃらおかしい。それはその通りです。

 一方で、100%自業自得であっても、彼が「周囲から拒絶された」ことはやっぱり事実なのです。彼の被害者意識は不当ではあっても、妄想ではない。そして、彼が被害者意識を募らせ、がさつな行動に出るほど、周囲はさらに強く彼を拒絶する。そして被害者意識がさらに募っていく。完全な悪循環です。拒絶される相手が、ジョゼフィーヌとそのボーイフレンド同様、かつて愛しあっていたであろう元配偶者ならなおさらです。

 では、アントワーヌが破滅的な行動に出ないようにするには、どうすればよかったのか。アントワーヌが親権を失い、ジュリアンとの面会交流も実施されなければ、この悲劇は防げた。それも1つの答えです。でも、ジョゼフィーヌの物語との対比を通じ、彼にも少なくとも有害ではない配偶者であり、親であった頃があったことは暗示されています。もしそうであるなら、もっと前のどこかの時点で、アントワーヌが負のスパイラルに陥ることを防ぎ、全員が救われうる他の選択肢だってありえたのではないか。

 ジュリアンはそんな鋭い「問い」を突きつける映画です。

■小杉俊介
小杉・吉田・梅宮法律事務所所属の弁護士/ライター。音楽雑誌の編集、出版営業を経て弁護士に。

■公開情報
『ジュリアン』
全国公開中
監督・脚本:グザヴィエ・ルグラン
製作:アレクサンドル・ガヴラス
撮影:ナタリー・デュラン
出演:レア・ドリュッケール、ドゥニ・メノーシェ、トーマス・ジオリア、マティルド・オネヴ
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
配給:アンプラグド
2017年/フランス/93分/原題:Jusqu’a la garde/カラー/5.1ch/2.39:1/日本語字幕:小路真由子
(c)2016 – KG Productions – France 3 Cinema
公式サイト:Julien-movie.com

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