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イーストウッドが描く前代未聞の実話! 宇野維正がこの春必見の『運び屋』をレビュー

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 クリント・イーストウッドの前作『15時17分、パリ行き』の公開時に、英字新聞JAPAN TIMESに「日本の批評家は映画監督としてのイーストウッドを神格化しすぎている」という趣旨の記事が載った。新作『運び屋』について書く上でどうしてこの話からするかというと、そこで真っ先に名指しと引用をされていたのが、自分が『15時17分、パリ行き』に寄せたコメントだったからだ。その記事では「一番大きいのは蓮實重彦の影響だろう」とされていたが、少なくとも自分にとってイーストウッドが特別な映画作家であることは、過去の批評に依ったバイアスなどではなく、常にその「最新作」によって地固めされてきた現在進行形の自明の事実だ。

『アメリカン・スナイパー』撮影時の様子

 イーストウッドの長大なフィルモグラフィーにおいて、最新作『運び屋』にはまず二つの側面がある。一つは、2014年(日本公開は2015年)の『アメリカン・スナイパー』から、『ハドソン川の奇跡』、『15時17分、パリ行き』ときて、これが監督作としては4作連続しての「実話の映画化」であること。『バード』や『J・エドガー』のような伝記ものは別としても、それ以前からイーストウッドが実話を元にした作品を撮ることはあったが、それが4作も続くとなると、そこに明確な意図を読み取らないわけにはいかない。

『グラン・トリノ』

 もう一つは、本作『運び屋』が2008年(日本公開は2009年)の『グラン・トリノ』以来10年ぶりとなる、イーストウッドの監督兼主演作であるということ。『グラン・トリノ』公開のタイミングで、イーストウッドは「今後はもう積極的に役は探さない。監督業に専念したい」と役者業の引退を示唆。その後、1作品だけ出演した『人生の特等席』は、1995年の『マディソン郡の橋』以来イーストウッド監督作品で助監督を務めてきた愛弟子ロバート・ロレンツが初めて監督業に乗り出すにあたっての、ご祝儀的な意味合いが強かった。

 4作連続の実話もの。『グラン・トリノ』以来の監督兼主演作。それは、本作『運び屋』が現在88歳のイーストウッドの一つの集大成であることを意味している。さらに重要な補足をすると、本作でイーストウッドは『グラン・トリノ』で43歳にして遅咲きの脚本家デビューをしたニック・シェンクと10年ぶりに再びタッグを組んでいる。『グラン・トリノ』は役者引退作を意識したイーストウッドの「次世代への遺言」的な作品であったが、『グラン・トリノ』とかなり近しい「文体」で語られる本作『運び屋』は、あの時に伝え忘れていたパーソナルな「家族への遺言」のような、深い余韻を残す作品となっているのだ。

 近年の4作に限らず、21世紀に入ってからのイーストウッドが断続的に実話ものを撮るようになった理由の一つは、映画という表現が本質的に宿している「作為性」への問いかけだと自分は考えている。「語りの自然さ」はイーストウッド監督作品の初期から見られる大きな特徴であったが、それを極めれば極めるほど、作家が頭の中でこしらえた「ドラマ」が作品から浮き上がってしまう。もちろん、役者にライトを当て、カメラを向け、役が演じられ、その素材を編集して音楽をつけること自体が「作為」に他ならないわけだが、それをどれだけ自然なものとして観客に提示するかを突き詰めていった際に、そこから削ぎ落とせるものがイーストウッドにとっては「ドラマ」だったのではないだろうか。

      

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