関心を持たないことで事態が悪化していく怖ろしさ 稲垣吾郎『半世界』の“何かがおかしい”雰囲気
事務所を独立後も精力的に映画やドラマ、舞台に出演している稲垣吾郎。今回彼が演じた男“高村紘”は、なんとなく実家の家業を継いで、そろそろ40代に手が届こうとする炭焼き職人だ。彼は山で木材を集め、窯で炭を作っては得意先に売りに行き、妻(池脇千鶴)と息子の暮らすわが家へと帰って行く。ありふれた田舎の風景のなかで仕事を続けながら、小さないざこざに巻き込まれたり、ささやかな気晴らしをするような平凡な毎日を送っている。そんな日常が描かれていく映画が、本作『半世界』である。
だが、この作品、何かがおかしい。日常をゆるいユーモアと小さなトラブルともに淡々と描きながらも、その底では何か不気味で異様なものが流れ続けている……そんな雰囲気があるのだ。ここでは、一見すると穏やかに見える本作が、実際には何を描いていたのかを考察していきたい。
キーマンとなるのは長谷川博己が演じる、久しぶりに地元へと戻ってきた、紘の中学生時代の同級生・瑛介だ。仕事を辞めて離婚したという彼は、陰鬱なムードを漂わせながら、懐かしい親友たちとも極力会おうとせず、人目を避けて古い一軒家に暮らし始める。そんな態度をいぶかしく思う紘は、瑛介を無理に連れ出して一緒に酒を飲んだり、炭焼き仕事を手伝わせたりするなかで、瑛介に何があったのかを理解しようとする。
そこで明らかになってくるのが、瑛介が自衛官として海外に派遣され、部下を失う悲劇を体験していたという過去だ。心に深い傷を負った瑛介は、帰国後も後遺症によって精神的に不安定な生活を余儀なくされていた。本作は、そんな傷ついた心を日本の故郷や風土が癒してくれるというような映画ではない。瑛介は、故郷でもうまくやることができず姿を消してしまうのだ。
日本にいながら瑛介の心の半分ほどは、海を越えた戦地にとらわれているように感じられる。だが、その姿に共感し、真に寄り添えるような人間は、退職した瑛介の周りにはいない。現実に武力紛争は、いまも中東やアフリカなどの地域で進行している。日本社会において、危険な地域へと派遣される自衛官、ジャーナリスト、ボランティア、その家族以外の日本人のなかで、そこで起こる戦闘や被害について、現実そのものとして受け止めている人がどのくらいいるのだろうか。
日本社会のなかにいると、そういった問題は日常と切り離されているように思える。多くの人々は、そのようなTV画面のなかで起こっている悲劇よりも、自分の生活で精一杯なのが現実である。だから瑛介は、日本のどこにいても孤独な思いを味わっていたのだろう。だが実際に一部の日本人が海外に行き、目の当たりにしている悲惨な状況もまた、もう一つの現実だということも事実なのだ。そして湾岸戦争など他国の戦争への多額の拠出や、兵器の購入、自衛隊海外派遣まつわる問題などが示すように、実際には日本の政治状況を通して、一般の国民はこの現実にじつは関わっているのである。