【ネタバレあり】善悪が無効化されたヒーロー映画『ミスター・ガラス』を徹底考察
早過ぎたヒーロー映画
そして、ガラスの悲願は最高のかたちで実を結ぶことになる。本作のストーリーは表面的には、ヒーローの存在が大勢の市民に知れ渡るという結末を迎える。しかし最大のどんでん返しは、考えようによっては、本作の作中世界の人物全員が、この事態によって、じつは自分たちが名もなき脇役として映画のなかに存在しているという事実に気づき始める、ということなのかもしれない。なぜなら本作こそ、ミスター・ガラスが作中世界で命をかけて証明しようとしていた「ヒーロー作品」そのものだからである。しかも、そのタイトルは"GLASS"(『ミスター・ガラス』)。彼こそが主人公の映画だったのだから。ここまで考えると、本作はもはや哲学的ですらある。
だが、彼が『アンブレイカブル』で行ったことは、あまりにも悪魔的だったことを忘れてはならない。デヴィッドが超人であることを明らかにするため、多数の無関係の人間たちを列車事故に巻き込んだのだ。にも関わらず、本作はガラスに深く感情移入させるように作られてある。
シャマラン監督は、これまでいくつもの作品で、“信じること”の重要性をテーマにしてきた。様々な試みが見られる本作のなかでも、最も実験的なのは、その信念が、もはや善悪の境界すら超えて、より純化されたものとして、称えられてしまっているということだ。つまり本作は、善悪が無効化されたヒーロー映画ということになる。それが本質的にヒーロー映画なのかどうかは議論が必要になるところだろう。だが少なくとも、本作が新しい映画だということは確かだ。
本作がもし存在しなかったとしても、おそらく、このような病的な内容を映画で描くことは、ヒーロー映画がおそらくは飽和状態を迎えるかもしれない数年後、もしくは十数年後に、様々な映像作家によって段階的に、必ず撮られていたはずである。それをシャマラン監督は、一人の創造力によって、ひと足もふた足も先にやり遂げてしまったように、私には思える。M・ナイト・シャマラン、やはり天才的な監督だ。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『ミスター・ガラス』
全国公開中
出演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ジェームズ・マカヴォイ、アニャ・テイラー=ジョイ、スペンサー・トリート・クラーク、シャーレーン・ウッダード、サラ・ポールソン
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)Universal Pictures
公式サイト:Movies.co.jp/mr-glass