ブルボンヌの『カランコエの花』評:クラスにも職場にもいるLGBTのリアルな現状

ブルボンヌの『カランコエの花』評

 「LGBTの割合は7.6%、およそ13人に1人」という、3年前に広告代理店の大規模調査から伝えられた数字は、多くの人にとって「そんなにいるの?」と思えるものだったでしょう。もちろん調査の仕方によっても変わる曖昧さを含んだ割合ではありますが、実際に思っているよりずっと、いるのよ〜!

 申し遅れました、リアルサウンド映画部さんでは初めましての女装のおじさん、ブルボンヌでございます。よろしこ〜。皆様もここ数年はバラエティから真面目なニュースまで、LGBT、性的少数者の話題を耳にする機会も増えたことと思います。アタシ自身も一昔前は深夜番組やクラブでシモネタそれそれ〜と騒ぐお仕事が多かったのですが、最近は企業や自治体、学校でLGBTや男女をテーマに講師のお声もよくかかるようになっています。

 そうした学校での授業でLGBTについて教えた時に、性の多様性への理解よりまず先に、「じゃあうちのクラスにも“そういうやつ”がいるんだ! 誰だろ?」なんて発想にもつながるということが、少し前から業界内でも指摘されていました。「どこにでもいる存在なんですよ」と前向きな意味で伝えたはずの情報が、まだまだ自分の想いをオープンにできない当事者にとっては、まるで「犯人捜し」のような意識を向けられる恐怖感にもつながってしまう。

 映画『カランコエの花』は、高校2年のクラスでのLGBT授業の後、まさにそんな騒動が起きてしまうという、フィクションなれど「今」らしいリアルが見える作品です。同性のクラスメートへの想いを、保健室の先生にだけ打ち合けた生徒のために、良かれと思って先生が伝えたLGBTの知識が裏目に出て、「うちのクラスだけ話があったらしいよ。ってことは……」と詮索されるきっかけに。大声で「キモいよな!」と言うやんちゃな男子から、着替えの時に友人の目線が気になってしまう女子まで、多感な時期の生徒たちはそれぞれに揺れ動きます。

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