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ディーン・フジオカ主演『モンテ・クリスト伯』にハマる人なぜ続出? 日本ドラマの新たな可能性

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 毎週、木曜夜を楽しみに待つ中毒者を生み出している『モンテ・クリスト伯 ―華麗なる復讐―』(フジテレビ系)。ただ、必ずつっこまれるのが、なぜ登場人物たちは、ディーン・フジオカ演じるモンテ・クリスト・真海が、柴門暖だと気づかないのかということではないだろうか。ドラマの中で神楽清を演じる新井浩文も5月31日にTwitterで「かぐにい、元漁師の感があるなら暖て気づいてよん。」とつぶやいている。

 しかし、最終回を前に改めて1話を観返してみると、柴門暖はかなり単純明快でカラッとした明るい人物で、今観ている真海とはかなり違っていることに気づくのは、ドラマにハマっているからだろうか。顔は同じだが、真海には浮かれたところがなく、静かな中にも凄みがあり、暖とは真逆の人間なのだ。彼がそんな風に変わるほど、獄中での月日が過酷であり、またファリア真海(田中泯)から授かった知識が彼を生まれ変わらせたのだということがわかる。

 それにしても、原作は1815年のヨーロッパが舞台で、ナポレオン・ボナパルトが生きていた時代の話である。暖が託されていた手紙というのも、原作では、ナポレオンの側近から渡されたものだったのだ。

 そんな現在とはかけ離れた設定を、今の日本に置き換えるに当たって、クーデターによって追い出された要人たちの集まりであるククメットという集団を登場させたことは大きい。各国の政府がテロ組織と認定したククメットの一員と思われる外国人労働者を、テロ組織の人間と断定する。そこに、拘束された外務省の人間との交換という条件の下、暖がその張本人に仕立て挙げられるという、その設定からしてリアリティがある。

 暖と真海になぜ気づかない?というツッコミはあっても物語は崩れないが(いや、本当は崩れるのかもしれないが、俳優たちや演出の力業で成立させているのかもしれないが)、暖が陥れられる背景は、ツッコミの効かないものになっていたことが、このドラマに徐々に本気でハマる人が続出した所以かもしれない。

      

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