『四月の永い夢』が描く、喪失感からの解放 “気づき”によって世界は“詩的”なものへ

『四月の永い夢』が映し出す“喪失感”の背後

 「私はずっと四月の中にいた」ーー初海のモノローグとともに映し出される冒頭のシーンはたしかに美しい。桜舞う季節に、ひとり喪服姿でたたずむ彼女の姿。言葉にすれば陳腐だが、それはある一瞬の時を閉じ込めた、いわば永遠を感じさせるものでもある。一片の映像(=ショット)そのものの持つ力というものを、感じずにはいられないのだ。

 かつての恋人の母・沓子(高橋恵子)は言う。「人生とは、何かを失い続ける中で、本当の自分自身を発見していくことなのではないか」と。初海は四月の中にいる。しかし時が止まっているわけではない。本当は3年前から日々変化し続けている自分自身を、彼女は発見できていなかっただけなのだ。

 それに気づくことができた瞬間に世界は一変するだろう。ようやく春が終わり、夏がやってくる。日常の“私的”な世界の中での小さな気づきは、ときに世界を“詩的”なものへと変えることがある。これまで中川監督は、映像で詩そのものを描こうとしてきたように思える。しかし日常への気づきにこそ、詩的なものが現れるのだと本作で示した。その“詩的”なものとは、ぽっかり空いた彼女のとなりで、同じ歌を口ずさむ相手がいることであり、一緒に花火を眺める相手がいることなのである。

 本当に美しいのは、彼女をとじこめていた四月(春)の風景ではなく、夏を夏だと感じること、そしてとなりにいる誰かの存在に気づくことなのだ。そのことに気がついた私たちの中には、きっと幸せな気持ちが満ちてくる。


■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。

■公開情報
『四月の永い夢』
新宿武蔵野館ほかにて公開中
出演:朝倉あき、三浦貴大、川崎ゆり子、高橋由美子、青柳文子、森次晃嗣、志賀廣太郎、高橋惠子
監督・脚本:中川龍太郎
配給:ギャガ・プラス
(c)WIT STUDIO / Tokyo New Cinema
公式サイト:http://tokyonewcinema.com/works/summer-blooms/

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