MOOSIC LABから登場した新たな傑作! 『なっちゃんはまだ新宿』の“エモさ”と“神秘性”

『なっちゃんはまだ新宿』のエモさと神秘性

 昨年のMOOSIC LABで準グランプリを獲得した首藤凜監督の『なっちゃんはまだ新宿』が5月2日にDVDリリースされる。“音楽×映画の祭典”として、若手監督・俳優、そしてミュージシャンを輩出してきたMOOSIC LABでは、これまでにも山戸結希の『おとぎ話みたい』、加藤綾佳の『おんなのこきらい』、酒井麻衣の『いいにおいのする映画』と若手女性監督による傑作が数々送り出されてきた。

 それらの作品が持つ、少女を主人公にしたセンシティブな物語の流れを継承した本作は、片想い相手に恋人がいることを知った高校生の秋乃の前に、突然その恋人“なっちゃん”が何度も姿を現すことからはじまる不可思議な青春譚だ。やがてその片想い相手と交際することができ、“なっちゃん”の存在を忘れていく秋乃。そんな彼女は10年の時を経て、偶然にも仕事先で“なっちゃん”と出会うことになるのだ。

 一見すると、いたってシンプルな女子高生2人の友情モノに思える本作だが、蓋を開けてみればまったく違う。何故なら“なっちゃん”という少女が本当に実在しているのかどうかが物語の鍵になっているからだ。好きな人の好きな人という憧れが生み出す、一種の“イマジナリーフレンド”的な神秘性。しかもそれをナチュラルな会話の応酬で繰り広げていくことで尽きない“エモさ”が映画全体を包んでいく。

 もっとも、突然クローゼットの中に現れ、授業中の校庭を日傘をさして歩き、さりげなく教室に入ってくる前半の高校生パートでの“なっちゃん”は、いかにも作り出された存在であるとわかる。ところが、10年後パートで芸能マネージャーとなった秋乃と、被写体モデルとして活動している“なっちゃん”が出会ってからは、この映画の不思議な空気感と圧倒的な“エモさ”が際立ちはじめ、一体何が起きているのだろうかと取り残されるような、それでいて画面に釘付けになってしまう瞬間が度々訪れる。

 “なっちゃん”を演じている元HKT48で「ミスiD2016」の準グランプリを獲得した菅本裕子と、首藤作品のミューズ・池田夏海の対照的でありつつも並列の存在(劇中でいう、“なつ”の次は“あき”という言葉さながらに)。そして彼女ら2人の掛け合い、とりわけ終盤に秋乃が“なっちゃん”を連れ出したバスの中でのシークエンスに、本作の持つありとあらゆるエッセンスが集約されていく。

 「新宿」への強い憧れを語る秋乃と、それを聞いている“なっちゃん”。もしかしたら“なっちゃん”の存在と同様に、画面に映っている「新宿」の光景でさえも、秋乃がイメージしたものなのではないかと邪推してしまいたくなるほど儚くも想像力豊かなやりとりが描かれていく。今まで何度も何度も映画の中で描写されてきた「新宿」の光景。しかし、本作以上にそれが不確かな存在として描かれてきた作品はなかったのではないだろうか。

 そして、クライマックスで秋乃が“なっちゃん”に語りかける「消費されないで」の言葉。もともと人間がそれ以外のものに対して「する」行為だったものが、現代ではいつのまにか人間が「される」ようにも変化した現代。撮影会モデルとしてチヤホヤされている彼女を誰にも奪われたくないという秋乃の感覚は、山戸結希の衝撃のデビュー作となった『あの娘が海辺で踊ってる』とよく似たビジョンがあることを感じさせられた。

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