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死にたがりの現代人へ 『アンナチュラル』が遺した“生きる”ということ

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 「おなかすいた」くらいの軽い感覚で、わたしたちは「死にたい」と口にしてしまう。悲しいかな、人間は死をもって初めて命の価値を感じることができる生き物だ。しかし、なんとなくの「死にたい」を抱え、なんとなく日々を重ねる中で、生きている感覚を忘れるくらい熱中できる“特別”がふっと舞い込んでくることもある。3月16日に幕を閉じた『アンナチュラル』(TBS系)も、多くの人の心を掴んだ“特別”な1時間を3か月間提供してくれたドラマだっただろう。

 日本に170名ほどしか登録がない“法医解剖医”に焦点を当てた本作は、新設された死因究明専門のスペシャリストが集まる「不自然死究明研究所(通称:UDIラボ)」を舞台に、さまざまな死因を究明し、未来の誰かを救命していく物語。石原さとみ、井浦新、窪田正孝、市川実日子、松重豊と“ちょうどいい”キャストを携え、『逃げるは恥だが役に立つ』の脚本家・野木亜紀子、『Nのために』『夜行観覧車』のプロデューサー・新井順子&演出家・塚原あゆ子らと凄腕スタッフたちが集結した。

 本作全体のテーマは、「死と向き合うことによって、現実の世界を変えていく」。主人公・三澄ミコト(石原)が言った「法医学は“未来のための仕事”」のセリフ通り、『アンナチュラル』は各話で扱う“不条理な死”から学ぶ“生”を視聴者に訴えかけた。

 これまで生死を扱った作品があった中でも本作が特別になれた理由の1つは、“綺麗事”を言わなかったことにあるのではないかと思っている。例えば、自ら死を選択したいくらい世の中に絶望しているときというのは、「生きたいと思っても生きられない人がいる」や「死んだら悲しむ人がいる」のような“他者の思い”なんて正直言って耳に入ってこない。

 だから、第7話「殺人遊戯」でいじめを苦に死を選ぼうとした生徒に対して、「あなたが死んで何になる?」という一見すれば冷酷に聞こえるミコトの言葉には驚かされた。復讐や見返したい気持ちを原動力にした行動は、たいてい失敗する。第7話の場合、ミコトは生徒に、例え被害者が死んでも加害者は名前を変え、いつか家族を持ち、被害者が死んだことなんて忘れていくと説得したが、実際に人間は心のバランスを保つために、自分にとって不都合な記憶を消すことができる。

 第5話「死の報復」の犯人もそうだった。鈴木巧(泉澤祐希)の妻を殺した女性は、自分より幸せな鈴木の妻を憎く思い、命を奪った。その上、鈴木を悪者に仕立て上げ、平然と鈴木の妻の葬儀に参列し、刺される直前まで「わたしは悪くない」と言い続けた彼女。自分の中で形成したうその世界を信じ込むことができる空想虚言者のような振る舞いだったが、もしUDIが死因を特定しなければ、いつか殺人の事実は不都合な記憶として彼女の中から消されていたかもしれない。

 つまり、精神的苦痛を目的とした復讐というのは、目的を達成した直後のダメージはあるものの、数年間存在し続けるかというとそうではない。「見返したいから○○になりたい/○○をやり遂げる」という目標の立て方は、いつか破綻する。それを考えると、鈴木がミコトに止められながらも犯人を刺すという展開は、非常にショッキングだったが人間らしい報復だった。もちろん殺人未遂を推奨しているわけではなく、生きている上で、絶望や恨み、怒り、悲しみの負の感情の解決を、未来に託しても、根本的な解決には至らない。

      

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