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直虎と龍雲丸はどんな人生を選択するのかーー『おんな城主 直虎』城を失って気付いたこと

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 井伊はなくなり、城は燃えた。柴咲コウ演じる主人公・直虎は、直虎という名も、井伊の家督を継ぐ者の幼名である「次郎法師」という名も捨て、本名であるおとわに戻り、一農婦として柳楽優弥演じる龍雲丸との幸せな日々を送っている。

 直虎が井伊家を再興しないと宣言した36話以降の2話で浮き彫りになったのは、「城」にこだわる男と、日々平穏に暮らせることを願う女という男女間の違いであり、「次郎」という男の名前を捨て、一人のおなごとして生きる決心をした直虎が意図せずして行った「おなごゆえの戦い方」である。

 ここで直虎とは対照的な存在として重要な役割を担っているのが、橋本じゅん演じる近藤康用である。彼は、その風貌からしてわかるように、おんな城主に対して、彼はいかにもな「おとこ城主」なのである。近藤は井伊谷三人衆の中でも、盗賊・龍雲丸を捕まえるか否かの問題で何度も直虎とぶつかり、さらには政次(高橋一生)の死の元凶でもあるという、井伊家にとって最も面倒な、ドラマ『直虎』ファンにとってはかなり忌々しい存在だったと言える。だが、瀕死の重傷を負い直虎に救われて以降、家来たちに「殿が立った!」と「クララが立った」よろしく言われる愛されようや、高瀬(高橋ひかる)に対する優しい表情を見るにつけ、「意外と人情味があっていいヤツではないか」と思わせる人柄を垣間見せてきた。

 そんな彼と直虎が井伊谷を巡って対立する。武田の軍勢を相手に明らかに勝ち目がないことをわかっていながら、「城を枕に討ち死にする」つもりの近藤と、井伊谷の人々を危険にさらすわけにはいかないと、戦さをせず武田に帰順することを促す直虎。妥協点として、井伊谷城に火を放ち、逃げるという決断に行き着く。37話最後の「井伊の城は焼けた。けれど焼け死んだものは1人もおらなかったと言う」というナレーションが印象的に響く。井伊の城が焼けてなくなる。これで、完全に形としての井伊は終わった。

 思えばこれまでこのドラマにおいて、「城」という言葉は何度も繰り返し登場してきた。今川に振り回され悲劇が起こるたび、直虎たちは「明日は今川館が焼け落ちるかもしれぬ」と願った。龍雲丸は、城を守るために親が死んだ過去を持ち、「城を守るために人が死ぬなんて、そんなものはいらない」と直虎に投げかける。そして人々を守るための城を築き上げ、その城で、今度は多くの仲間たちを失うことになる。これまで「城」は家の象徴であり、男たちが固執し、守らなければならない対象だったが、そのために多くの人々が命を落とした。

 直虎は、36話で井伊家再興をやめた直虎に抗議する中野直之の弟・直久(山田瑛瑠)や小野の嫡男・亥之助(荒井雄斗)に、政次はじめ井伊家の亡くなった人々が死んだ意味を問われたとき、「家があったからこそ、皆で守らねばと散っていったという見方もあろう」と答える。この台詞は、今までこのドラマが描いてきた多くの人々とその死を否定する危険性をはらみ、ある種禁句であるとも言える。だが、その台詞を言ってのけることが、このドラマの、森下佳子脚本の凄さであり、『おんな城主 直虎』が「おんな城主」である所以なのである。矢本悠馬演じる中野直之が「しょせんおなご」と悔しそうに叫ぶが、再興をやめる宣言を聞く井伊谷の人々の場面は、黙って直虎の言葉を聞いている女たちの表情のショットと、直虎を責める、井伊の将来を担うつもりの若者たち、そして中野の叫びと、その立場と考え方の違いが浮き彫りになる場面であったと言える。

      

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