『過保護のカホコ』はなぜ新しくも懐かしい? 昭和的ホームドラマとしての魅力
さまざまな点から注目を集めている『過保護のカホコ』(日本テレビ系)。それは、カホコの心情を微妙な表情の変化で伝える高畑充希の演技力であったり、竹内涼真演じる初の不器用だからこそズキュンとくるキラー台詞、そして、ドラマのタイトル通りのカホコに対する両親の(とくに黒木瞳演じる母親の“毒母”と呼ばれんばかり)の過保護ぶり、などなどあるけれど、ここではホームドラマとしての『過保護のカホコ』に着目してみたいと思う。
カホコの家族は、先述の通り、一般的には“毒母”とされる母親(黒木)、優しすぎてカホコが過保護すぎるとわかっていても何も言えない父親(時任三郎)、そして一人娘のカホコの3人。いわば、カホコの家は“核家族“と呼ばれる世帯であり、今の日本社会においては年々増えつつある家族像だ。しかし、このドラマを観ていると、大家族ものを観ているような感覚になってくる。
というのも、カホコの家族は何かと言えば親戚中が集まって、いつもわちゃわちゃしているから。とくに第6話では、黒木演じるカホコの母・泉が家出して実家に戻るばかりか、泉の妹たち(西尾まり、中島ひろ子)も同時に家出。そこに三姉妹の夫たちが駆けつけ、文字通りドタバタを巻き起こす。その後、妻を連れ帰ることに失敗した夫たちは、カホコの家に大集合。そこに時任三郎演じる正高の父親・正興(平泉成)までが加わり(といっても正興は寝てばかりなので、さほど影響力はないが……)、もはや家族の垣根など存在しないカオス状態に陥っている。
そして、そこから漂ってくるのは、そこはかとない昭和の香り。古くは『時間ですよ』(TBS系)、『寺内貫太郎一家』(TBS系)、最近では『東京バンドワゴン 下町大家族物語』(日本テレビ系)など、ホームドラマには昭和の香りがつきもの。そう考えると、このドラマは“過保護”という現代的なテーマを扱いつつも、どこか懐かしさを感じさせる大家族のドタバタが多く盛り込まれており、じつはホームドラマとしては原点回帰しているのではないかと思う。カホコの家族の場合、一家の主にまったく威厳がないのが今どきというか、過去のホームドラマと違っているのだけれど……。