荻野洋一の『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』評 絶望の浄化の先にあるもの

荻野洋一の『夜空はいつでも〜』評

 「いやな予感」が的中し、世界がいよいよ悪化の一途を辿るなか、慎二と美香は毒を吐き切ったかのごとく、清新なカップルとして誕生し直していく。彼らは最初、掃きだめのようなチェーンの居酒屋で出逢い、次にガールズバーで店員と客として再会し、さらに同じ夜に渋谷の路上でみたび出逢い、前述の青い月夜のシーンとなる。つまり、彼らは泥から這い上がった魚のように出逢い、回を重ねるごとに清新さを帯びていくのだ。

 この映画がいいなと思わせるのは、これが単にカップルが愛を深めて、絶望から立ち直るプロセスを描くのに終始していない点である。ふたりは最初に夜の渋谷で偶然再会し、いっしょに歩く。彼らはたがいに語ったり、押し黙ったりしつつ、こんどは真昼の新宿を徘徊する。さらにはいったん、彼女の田舎に遠征して、闇夜のなかを自転車で往来する。

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慎二「それにしても暗いなあ」
美香「東京には黒がないからね」
慎二「黒?」
美香「色の黒」

 本当の黒とやらを体験したふたりは、ふたたび新宿に帰り着く。バスタ新宿。カメラがふたりから素早くズームバックすると、甲州街道の歩道に立ち尽くす男女のちっぽけな点々があるのみ。彼らはみずからを相対化するすべを身につけたのか。と同時に、ふたりが渋谷と新宿を交互に徘徊することによって、あたかも東京の街じたいもまた、浄化されていくかのようだ。映画の序盤では、美香のモノローグで東京はさんざんこき下ろされる。

“都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない”

“私はヤレるか、ヤレないかでしかない。そりゃそうだ。ここは東京だ”

 いさかか首をかしげたくなる。男性が女性を「ヤレるか、ヤレないか」で品定めする下品さは、なにも東京の専売特許でもあるまい。無用な東京批判という気もする。しかし美香自身、田舎でノビノビと暮らせるわけでもないと自覚している。田舎vs.東京のありきたりな対立図式はどうでもいい。ようするに、泥をかぶって、それでも元気でいられるか。慎二と美香は、嫌な予感、死の予感、地震か放射能か爆発の予感のなかで息をしながら、ふたりでいることにどんどん機嫌がよくなっていく。そして東京の街じたいをふたりの歩きが浄化する。

 「東京」とは、つまり新宿と渋谷のことである。石井裕也はそう宣言しているように受け取れる。絢爛たる銀座も、整然たる丸の内も、粋な日本橋も、瀟洒な代官山も、雑踏の池袋も、空虚の皇居もみな「東京」ではない。もはや捨象された「東京」とは、渋谷と新宿の泥水であり、ガスであり、熱であり、非日常感である。ちょうどゴダールが「ヨーロッパとはフランスとドイツのことである」と、いけしゃあしゃあと放言したのと同じように、石井裕也は「東京は、渋谷と新宿のあいだを往来し、渋谷と新宿を徘徊することで起ち上がってくるものだ」と宣言している。あたかもあの美しすぎる小説、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』のなかでナジャと「私」がパリの街をひたすら徘徊することで、パリが初めて起ち上がってきたように。

 映画は最後まで語りきるのは時期尚早だと言っている。つまり、終わりを描く必要がないのだ。それは観客がその続編を演じていけばいいということだろう。だから、原作となった最果タヒの詩集で最も美しい次の一節が、この映画では引用されていない。——“永遠は、喪失でしか表現できない。さよならぼくがいたことを、見失うきみの瞳は美しいまま。”

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』
5月13日(土)より新宿ピカデリー、ユーロスペースにて先行、5月27日(土)より全国公開
監督・脚本:石井裕也
原作:最果タヒ(リトルモア刊『夜空はいつでも最高密度の青色だ』)
出演:石橋静河、池松壮亮、佐藤玲、三浦貴大、ポール・マグサリン、市川実日子、松田龍平、田中哲司
エンディング曲:The Mirraz「NEW WORLD」
製作:テレビ東京、東京テアトル、ポニーキャニオン、朝日新聞社、リトルモア
配給:東京テアトル、リトルモア
(c)2017「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」製作委員会
公式サイト:http://www.yozora-movie.com/

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