『The Documentary DEV LARGE/D.L』SPECIAL EDITION上映に寄せて
DEV LARGEの人生は日本のヒップホップ史と重なるーーNIPPS × 川口潤 × 寺西崇洋が語り合う
NIPPS「狂っていた頃に、まともに相手してくれたのは寺ちゃんとヒデくらい」
寺西:コンちゃんは、なんだかんだ言ってデミさんのことが大好きだったよね。言い方を変えると、心の底から尊敬していた。なのに、めちゃくちゃ当たりが強くて、レコーディングの時とかも「デミさんもう1回できるよね?」って、何十回と録らせたりしていた。
NIPPS:俺はできるくせにやらないから(笑)。あいつはそれを知っているから、グイグイ来ていたんだろうね。
寺西:「俺の知ってるデミさんはもっとすごいし、ラップももっとかっこいい」って信じていたからこそ、デミさんのルーズなところに厳しかった。ただ、あれはやっぱりお互い様で、コンちゃんの当たりの強さにデミさんが荒んでいくって感じもあったと思う。コンちゃんのリクエストとかディレクションは、本当にきつかったもんね。ただ、誰よりもラッパーとしてデミさんのことをリスペクトしていたのは確か。
川口:デミさんは、実際にコミュニケーションしていてそれを感じていましたか?
NIPPS:まあね。若い頃からあいつはいつも俺の横にいて、俺の顔を覗き込んでは「デミさん、何考えてるんですか?」って聞いてくる感じだったからさ。
寺西:ブッダブランドは、メンバーの中でコンちゃんが最年少だったのが面白いよね。コンちゃんは弟的な立ち位置で、最初はブッダブランドの裏方として、トラックを作ったりしたかったみたい。けれど、デミさんたちのラップがかっこよかったから、「俺もラップやりたい」って思ったんだって。
NIPPS:「ビッグブラザー」とか「アンクル」ってよく言われたよ。NYにいた時は、一緒にいる時間も長かったし、本当にいろんなことを話した。週に1~2回はみんなで集まって、ブッダが形になる前から、ああでもないこうでもないって。当時、向こうでラップしている日本人なんて俺たちしかいなかったし、すごく結束は強かった。だから、日本に帰ってきた頃、俺は寂しかったんだ。みんな遠くに住んじゃって、集まる場所もなくて、だんだんと密にコミュニケーションが取れなくなっていった。
寺西:チエコ・ビューティーが当時、NYにラップしている日本人がいるって教えてくれて、それがブッダだったんだよね。コンちゃんが先に日本に帰ってきて、ブッダのテープをヒップホップ関係者に配って回ったんだけど、初めて聞いたときは本当に衝撃的だった。だけど俺、当時の日本のヒップホップの状況では、ブッダの音楽性はまだ早すぎる気もしたんだ。ところが石田さん(ECD)たちが猛プッシュしたことも後押しして半年もしないうちに、「人間発電所」がいろいろなクラブでかかるようになった。あれが日本で初めてのクラブヒットだったと俺は思うよ。あの時はアナログも勢いがあったし、ヒップホップが本当に盛り上がっていた。
川口:ドキュメンタリーにも入っている、クラブチッタでの例の騒動もその頃ですよね。96年の年末で、「さんぴんキャンプ」の後の「鬼だまり」で大爆発しちゃって。箱の中がパンパンで、スピーカーの上にも人が乗っちゃうくらいの超満員だった。僕はその時、もう亡くなっちゃった映像ディレクターの末田健と2人で行っていて、ステージの様子を撮っていたんだけれど、そうしたらD.Lさんとデミさんが喧嘩し始めて。
NIPPS:いやぁ、俺もあの時は楽屋に顔出すだけのつもりだったんだけれど、みんなに「デミさんも出なきゃ」って言われて、ついステージに上がっちゃったんだよね。
寺西:俺らはブッダブランドの事情をわかっていなかったから背中を押しちゃったんだけど、実際に出たら、コンちゃんが「練習も来てねえのに、なんでお前出るんだ」みたいになっちゃって。まああれは、デミさんとコンちゃんの兄弟喧嘩だよ。
NIPPS:正直、ちょっと恥ずかしいけれど、面白いのであればどうぞ使ってください(笑)。個人的にも、今回のドキュメンタリーはすごく面白かったし、大好きなんだ。こんな事を俺が勝手にいうのもなんだけど、ブッダの中じゃ俺が1番ヒデ(DEV LARGE)に近かったからね。でも、周りには仲が悪いように映っていたと思う。実際、俺は嫌われていたのかな、本当は仲悪かったのかなって、モヤモヤしていたこともあったけれど、俺が狂っていた頃に、まともに相手してくれたのは寺ちゃん(寺西)とヒデくらいだった。狂っていても、そこが良いんだよって言ってくれた。
川口:一緒にNYに行っていろんな話を聞いて、本当に深い関係性なんだなって、改めて思いました。
NIPPS:なんで俺がこうなっちゃったかっていうと、ヒデが全部やってくれるから。俺は、それに着いていけばいいだけだった。ヒデがなにかやりたいって言ったら、俺はやったれやったれ!って感じだし、逆に「それはやめておいた方が良いよ」ってことは絶対になかった。あいつができない部分は、俺がやればいいって思っていたし、仲間意識は強かった。結局のところ、ヒップホップなんて自己満足で、自分に勝てるかどうかっていう世界だからさ。NYにいた頃、ヒデはいち早く日本に行ってシーンを研究して、「雷は本当にすごいよ!」ってビデオを見せてきたんだけど、俺は「人のことに感心している場合じゃないだろ、俺たちだってできるんだよ」って、ヒデのことを煽っていたね。向こうにいた頃は、俺も熱かったんだ(笑)。
寺西:俺は、デミさんとコンちゃんがむちゃくちゃ仲の良い時代を見ていて、俺から言わせると2人ともアメリカ人なんだよ。すぐ「ピザ食いに行こうか」とか言って、またすげえ食うんだ、2人とも。俺はそんなに食えないのに、もっと食えって言われてさ。原宿のシェーキーズの階段で、2人がものすごく下品な会話していたのを未だに覚えているよ(笑)。あの頃、デミさんとコンちゃんは兄弟以上の仲だったと思う。コンちゃんの訃報を聞いた時、ちょうど原宿でデミさんとクリさん(CQ)とK-BOMB、それからバイケンと飲んでいて、まさにコンちゃんの話で盛り上がっていたんだ。コンちゃんのことを違う角度からよく知っているメンバーで、いろんな話をしていたら、デミさんの携帯に電話がかかってきて、「金沢でDJ中に倒れた」って。すごく運命めいたものを感じるよ。