脚本家・演出家/登米裕一の日常的演技論
『逃げ恥』はなぜ共感を得やすいのか? 特徴的な“カット割り”と“モノローグ”の効果
若手の脚本家・演出家として活躍する登米裕一が、気になる俳優やドラマ・映画について日常的な視点から考察する連載企画。第13回は、大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』について。(編集部)
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が、2016年のドラマ最高満足度(テレビウォッチャー調査)を更新しました。(参考:新垣結衣主演「逃げるは恥だが役に立つ」が今年のドラマ最高満足度更新!https://tv-watcher.jp/news_article/576)『逃げ恥』から目が離せない理由、応援したくなる理由はいくつかあると思いますが、今回は“カット割り”と“モノローグ”から、考察してみたいと思います。
今回のドラマでは、星野源さん演じる津崎平匡は何度か緊張の面持ちで新垣結衣さん演じる森山みくりと対峙します。あるいは平匡は会社の同僚とも対峙するのですが、その際に何度かカットが割られています。みくりと平匡の2人が映るカットから、平匡の表情のアップのカットになったかと思えば、光の射す演出のカットが入る事もあります。ドラマでは一瞬のシーンですが、撮影現場ではこの間、中断と再開を繰り返して何度も同じシーンを撮り直しています。
星野さんがすごいのは、どのカットにおいても同じ体で撮影に臨んでいるように見受けられるところです。たった一度の撮影にピークを持っていき、いい芝居をする役者さんはもちろんいます。でも、淡々と同じ芝居を維持することーー時間を空けたカットでも上半身の硬さ、呼吸の乱れ、顔の強張りなど、同じものを用意することは、地味に見えて難しい。そして、星野さんはその難しいことがきちんと出来ているので、カットを切り貼りしても自然に見えます。意識して見ないと、本来は繋がっていないことを忘れてしまうほどです。『逃げ恥』が感情移入しやすいのは、星野さんの芝居における確かな技術があってこそだといえるでしょう。
また、『逃げ恥』は“モノローグ”にも特徴があります。通常、ドラマのシナリオにはト書きで“N”と表現されるナレーションと、“M”と表現されるモノローグがあります。Nは状態、Mは登場人物の心情を語るものです。モノローグが一切ない恋愛ドラマももちろんあります。あるいはヒロインのみがモノローグを担当し、主人公の男性は何を考えているのか分からないパターンも、割と多いのかもしれません。
『逃げ恥』の場合は、みくりも平匡もともに、モノローグで心情を語ります。案外、この形式はドラマにおいて少ないんですね。ふたりともモノローグで、自分の不甲斐なさややるせなさを語っていて、だからこそ応援したくなるのですが、単純にモノローグを増やせば人を惹きつける良いドラマになるかというと、そうではありません。むしろ、「モノローグで語ってしまうのは簡単だけれど、見ている人が表現(エンターテイメント)を感じづらいので、モノローグを多用するのは危険である」と、私は教えられました。たしかに、主人公が立っているところに「私は寂しい」とモノローグを入れれば、寂しいシーンとして、「私はすっきりしていた」と入れれば晴れやかなシーンとして成立してしまいます。モノローグは、使い方によっては役者の表現をつまらないものにしかねないのです。