脚本家・演出家/登米裕一の日常的演技論
妻夫木聡と綾野剛、『怒り』の関係性はなぜ愛おしい? “裏の感情”を忍ばせる芝居の深み
若手の脚本家・演出家として活躍する登米裕一が、気になる俳優やドラマ・映画について日常的な視点から考察する連載企画。第11回は、映画『怒り』にてゲイのカップルを演じている妻夫木聡と綾野剛について。(編集部)
裏側の感情を演じるということ
相手を“叱る”芝居をする際、俳優さんに「相手のことをちゃんと許したいと思っていますか」と問うことがあります。というのも、人を叱るという行為の中には、“怒る”という感情の裏側に“その人を許したい(愛したい)”という感情が必ず潜んでいるからです。目に見える表現だけに集中し過ぎるあまり、裏側にある感情を忘れてしまう俳優さんもいますが、表と裏の感情を両方準備出来ている俳優さんの表現は、とても深いものになります。
憎むという感情の裏には愛されたい(愛したい)という感情が、嫌うという感情の裏に好きになりたい(好きになりたかった)という感情があるように、わたしたちの日常においても裏の感情があるのは普通のことです。
もちろん、人は相手に叱られるとへこみますし、「嫌い」っていわれると自分も相手のことを「嫌い!」ってなるものです。でも、その裏側にこそ相手の本当の気持ちがありますし、特に日本人ははっきりと物事をいうのではなく、裏側に真意を忍ばせる場合が多いようです。そんな時、相手の表の感情だけをそのままに受け取ると、争いの火種になってしまう場合もありますが、ちゃんと裏の感情に目を向けると、途端に許せることがあります。そして、相手の裏側の感情を拾ってあげるのが上手い人は、愛され上手な人です。
映画『怒り』において、綾野剛さんが演じる大西直人が妻夫木聡さん演じる藤田優馬に「行くところがないならいてくれて構わない」と伝えるシーンがあります。しかし同時に、優馬は直人に対して「まだ信じていない」「疑っている」とも伝えます。
誰かを“疑う”人には、本当はその誰かを“信じたい”という感情が隠れています。直人は、優馬のそんな感情を読み取り、「信じてくれてありがとう」と返します。この言葉がきっかけで2人の関係は始まります。直人が愛され始める瞬間です。
その後の綾野剛さんと妻夫木聡さんの関係性の揺らぎは見ていて切なく、些細なことで人を信じ、そしてまた疑ってしまう人間の脆さが随所に表現されていました。
自分自身の芝居の表現を大切にすることはもちろんですが、彼らは相手役の芝居をお互いにきちんと愛し愛されながら、この作品に挑んでいるのだろうと感じました。綾野さんと妻夫木さんの関係性が愛しいと感じられるのは、2人の芝居へのアプローチもまた、愛し愛され上手だからなのかもしれません。