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映画『怒り』は妻夫木聡らの実力をいかに引き出したか? 演出と編集の見事さを読む

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 今村昌平と同時代の映画監督・大島渚は、在日朝鮮人・犯罪・沖縄などをテーマにしてきた、まるで李相日の出自と『怒り』で描かれたものを先取りしたかのような存在だが、こう語ったことがある。

 「犯罪が起こるとね、警察はまず動機を知りたがるわけですよ。それからテレビを始めとするマスコミも同じ。動機を聞けば安心するんですよ。『ああそうか、こいつはこういう奴か。だからやったんだ』と。動機の分からない犯罪というのは非常に不気味なんですよ。僕に言わせれば犯罪者なんて動機が分からないからやるんであって、動機があったら犯罪なんてやりませんよ。(略)映画は動機が分からない存在としてある時に、世の中に一番強いんですよ。」(『キネマ旬報1993年10月下旬号』)

 本作の強固さの理由の一端は、そこにあるのかもしれない。真の理由が最後までわからないゆえに喉に引っかかる。ただし、それを不完全なものと思わせずに成立させるには、極めて高い演出技術と演技が必要である。

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 実際、誰もが本作の俳優たちの演技がこぞって素晴らしいことに感嘆の声を漏らすだろう。しかもそれぞれの役は、彼らがこれまで演じてきた役のイメージの延長にすぎないのだ。いつも険しい顔をしている渡辺謙、いつまで経っても少女のイメージが抜けない宮崎あおい、おどおどした口ぶりの少女・広瀬すず、いつも最後に泣いてばかりの妻夫木聡、ボーッとしてる松山ケンイチ、己の道を突き進む意志が強そうな森山未來――硬軟自在なカメレオン型俳優の綾野剛を除けば、オファーする側が既存のイメージをなぞることにしか興味がないと思えるほどだ。

 ところが今回は、過剰にすぎることもある渡辺にしては抑制して演じ、今年31歳になる宮崎に少女的な存在であることの必然を持たせてノーメイクで挑ませ、広瀬には米兵からの暴行を受けての痛みと哀しみを演技に背負わせたことで女優としてのさらなる可能性を引き出した。そして妻夫木が髭と笑みの強調だけでゲイにしか見えないことに驚き、いつもの上を向いて鼻を押さえる『涙そうそう』タイプの泣きを禁じて長回しで撮ることで、新たな一面が出た感がある。脇役も、池脇千鶴は見事なほどオバサン感を漂わせ、カフェに座っているだけの1シーン出演の高畑充希など目の動きだけで忘れがたい演技を刻み込む。

 こうした芝居を引き出し、活かした李相日は、原作から枝葉のエピソードを削ぎ落とし、登場人物を整理した脚色も含め圧倒的である。ゲイや米軍基地反対デモ、米兵暴行といった問題意識を過剰化させがちなテーマを違和感なく劇中に配置して描いたバランス感覚といい、重量感のある演出はこれまでの作品と比較しても突出している。

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