自分と異なる他者を受け入れることはできるのか 『ディーパンの闘い』が描く難民問題と家族愛

『ディーパンの闘い』が描く家族愛

 数々の話題作を抑え、カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した、ジャック・オディアール監督の最新作である。BBCドキュメンタリーを題材に、人種、宗教、移民問題にスポットを当て、あのコーエン兄弟に「最高!」と言わしめた作品である。フィルム・ノワールの持つ暗さの中にも、優しい紗をまとわせたような温かみを感じる。そして人間の底力を全面に宿し、どのような状況下に置かれようと、生きることに執着する濃く熱い血が、自分にも流れているだろうかと自問自答させられる。

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(c)2015-WHY NOT PRODUCTIONS - PAGE 114 - FRANCE 2 CINEMA - PHOTO: PAUL ARNAUD

 これはスリランカから難民として、フランスへと渡った偽装家族が、生きていくために奮闘する話だ。スリランカは紅茶の生産地として有名である一方で、内戦が続いている国でもある。内戦で妻と娘を亡くした元兵士ディーパン、女ヤリニ、母を亡くした娘イラヤル。それぞれに何の接点もない赤の他人が、国から逃れるために偽装家族となる。そして三人は、個々の視点からは異質と見えるそれぞれを、自らの中に受け入れ、一つの交点を探りながら、円を描くように少しずつ、本当の家族の形を成していく。

 難民問題には、以前から関心があった。難民として命からがら他国へ渡り、言葉も通じず、環境も違う土地で、おそらく十分な教育も受けずに育って来ただろう人たちが、どのようにゼロベースから自分の居場所を確保、形成し、生きていくのだろうかと。

 私自身留学もし、海外で生活して、他国での言葉や習慣の違いに戸惑うこともあったが、元々基礎教育があり、他国の状況を知って渡る私たちと、彼らとはわけが違う。彼らはまずあるのは命だけという状況から、生活を始めなければならない。しかも皆同じ人間とは言え、人種、政治、宗教、言葉、環境が大きく違う状況下で、である。そしてその状況の中で、他者を受け入れることは可能かという難問を、この映画は投げかけてくる。実際、私も他国で日本人として、民間人になぜかスパイと勘違いされたことや、異質な目で見られるようなこともあった。国が違うだけで、こんなにも考え方が違うものかと驚愕した瞬間だった。私が経験したのは小さなことだが、様々な問題がお互いを苦しめる。

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(c)2015-WHY NOT PRODUCTIONS - PAGE 114 - FRANCE 2 CINEMA - PHOTO: PAUL ARNAUD

 ディーパンたちが移住したフランスは、古くから様々な国の人々を受け入れてきた。ただ、その多くの移民が暮らす中で、それぞれが複雑に絡み合い、誰もがそこに居場所を見出そうと、また存在意義を見つけようともがきながら、一縷の光を模索して生きている。その関係性は、家族であり、仲間であり、敵であり、またそこには哀しみ、痛み、苦しみ、憎しみ、喜び、優しさ、愛おしさ、全ての感情が行き交う。実に混沌とした世界だ。

 そんな中、その一縷の光を目指し、暗いトンネルを潜り抜けられたのは、ディーパンの強固な人間力によるものだろう。戦いや暴力を封印したディーパンに襲いかかる試練。偽物を本物の家族にする為、彼は奮闘する。自らの苦悩や葛藤と闘いつつも、力強く骨太な精神を持つ男。ただ彼の魅力はそれだけではない。シーンの端々に、愛おしいほどの優しさ、寛大な愛を感じるのだ。そしてそれがまた、強さに繋がっている。

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