濱口竜介監督インタビュー
なぜ無名女性たちの演技が国際的評価を得た? 『ハッピーアワー』監督が語る“傾聴”の演技論
「ニュアンスを排除して台詞と向き合わないと、過去の表現の再現に陥る」
ーー劇中で行われていた朗読会のシーンで、椎橋怜奈さん演じる小説家・こずえも、「抑揚をつけずに朗読したとしても、テキストそのものの意味はちゃんと立ち上がる」という趣旨の発言をしていました。本作全体にも通じる方法論かと思いましたが、これは濱口監督独自のものなのですか?
濱口:この方法論自体はすでにあるもので、僕が始めたわけではありません。フランスの映画監督であるジャン・ルノワールが、『ジャン・ルノワールの演技指導』というドキュメンタリー映画で彼自身が解説しているのですが「演者が台本を一読して膨らませた演技は、紋切り型にとどまる」というんです。ニュアンスを徹底的に排除した状態で台詞と向き合わないと、簡単に「こういう感じにするとリアルかな」と演者の記憶から引き出した、過去の表現の再現に陥ってしまう、と。だから、何度も台詞を読み込んで、テキストそのものに固有の言い方を教えてもらう必要があるというんですね。今回、僕が採った方法論は、まるまるルノワールの方法論と重なるものではないですが、実践して、仕上がった映像を観て、ジャン・ルノワールの言っていたことは、やはり本当だったのかな、と思いました。
ーー今作にはものすごく長いシーンがあって、たとえば前半で主人公たちが「重心」というワークショップに参加する箇所などは、ほとんどドキュメンタリーといって良いほど、ワークショップの内容を丸ごと撮っています。しかし、冗長な感じはなく、むしろ一緒に参加しているような心地良さがありました。
濱口:いったいどうやって役者さんに台詞を言ってもらえばよいのか、というのは常に悩ましいことです。ただ今回は僕自身、とても心地よさを感じながら彼女たちの演技を観ることができました。ある程度の長さのあるシーンを、心地よく観ていられるということ、「嫌ではない」ということは、実はすごいことで、僕もあまり経験したことがありません。どんな映画でも、終盤やクライマックス、自然に感情が高ぶってきて、役者自身が真実味を感じながら演じているような場面というのはあります。それはある程度観ていられることもあります。ただ、なにげない日常のシーンをずっと観ていられるというのは、とても新鮮でした。
ーー今作は脚本も非常に凝っていますね。ある物語の定型に沿っているという感じがまったくなくて、まるで現実のように先の展開が読めません。偶然に偶然が重なって物事が進行しているように見えましたが、こうした脚本はどのように作っていったのですか?
濱口:ワークショップでできた初稿の段階では、非常にドラマチックな脚本だったのですが、それを演技未経験の人たちで映画化するのは無理だと判断して、演者に沿って改稿を重ねるという方法を採りました。ただ、単に演者に寄り添うだけでドラマチックな展開を排除していくと、それはそれでつまらない作品になってしまう。だから、撮影をして微妙なさじ加減を見極めながら、即興的に改稿をしていくというかたちになったんです。この時点では、こういう演技はできなかったかもしれないけれど、ある程度撮影が進んだ今なら、キャラクターも馴染んで演じられるんじゃないかとか、脚本と演者とが少しずつせめぎ合いながら撮影が進む感じです。脚本には、ドラマを展開させるための台詞というものがあるのですけれど、それを職業俳優ではない人が口にしても、観客が信じるレベルには達しないと思います。だから、観客が「この人ならこういうことを言うだろう」と信じられる台詞だけを使って、ほんの僅かでもドラマを展開できるように調整していくわけです。
ーーすごく時間がかかりそうですね。
濱口:そうですね。最終的に目指している劇的な状況はあるんですけれど、この登場人物がその台詞をリアルに口にするためには、どういう状況なら可能か、どんな問いかけが必要か、ということを考えながら進めていったら、最終的にこんなに長い脚本になってしまいました(笑)。
ーーもともと、これほど長尺の作品にしようという意図はなかったんですか?
濱口:まったくないですね。本当は2時間とか3時間という、興行の標準的なラインになんとか乗せたいと思っていたんです。でも、実際に3時間20分くらいに編集したものを観たら、この映画に引かれていたはずの感情のラインがまったく見えなくなっていました。先ほど時間の積み重ねの話をしましたけれど、この作品は短く編集することでそれが失われてしまうように思えました。最終的に、キャラクターと演者の魅力が最も伝わる形は、この5時間17分という尺がベストだと判断しました。今回の制作方法で、なにかしら人の感情を繋ぎ止める、または巻き込んでいくためには、これくらいの長さになることが必然だったということかもしれません。
ーーいわゆる一般的な映画とは、そういう部分でも大きく異なっていますよね。今作を観て、映画とはいったい何だろう?ということを改めて考えさせられました。
濱口:そういう風に観ていただいて、すごく嬉しいです。僕はジョン・カサヴェテスという映画監督がとても好きなんですけど、彼の映画『ハズバンズ』を観たときに、「人生そのものが映っている」という感じがして、すごく衝撃を受けたんです。40歳くらいのアメリカのおじさんたちがじゃれ合っているような映画なんですけれど、当時、二十歳そこそこだった僕が観ても、「これこそが人生なんだ」と思わせる作品でした。この作品との出会いが映画を仕事にしようと志すきっかけとなり、僕は映画作りを学ぶことになるんですけど、しかし映画を撮るための一般的な方法論ーー脚本があって、カット割りがあってーーというある種の段取りを学べば学ぶほど、「もしかしたらジョン・カサヴェテスの映画は、そもそも映画ではないのかもしれない」と考えるようになりました。だとすれば、ジョン・カサヴェテスの作品に影響を受けた自分が目指すものは、必ずしも映画ではないという気もします。『ハッピーアワー』では、映画というものに一本軸足を置いていますから、まだ「映画ならざるもの」までいくことができたという感じはしないのですが、観た方に映画を踏み越えたなにかを感じてもらえたのなら、それは実はとてもありがたいことだと思っています。
(取材・文=松田広宣)
■公開情報
『ハッピーアワー』
12月シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督:濱口竜介
脚本:はたのこうぼう(濱口竜介、野原位、高橋知由)
製作・配給:神戸ワークショップシネマプロジェクト(NEOPA,fictive)
出演:田中幸恵(あかり)、菊池葉月(桜子)、三原麻衣子(芙美)、川村りら(純)
©2015 神戸ワークショップシネマプロジェクト
公式サイト:http://hh.fictive.jp/ja/