『魔女は謎解き好きなパン屋さん』『謎の香りはパン屋から』『真夜中のパン屋さん』……日常の謎を描いた食欲を誘う小説3選
小説を読んでいると、作中の食事がおいしそうなあまり、我慢しきれず本の間に指を挟んだまま食べるものを探しに行くことがある。
おいしそうな食事が登場する小説として最初に名前が挙がる池波正太郎『鬼平犯科帳』(文春文庫)を筆頭に、文章で綴られる食事描写に抗いがたい魅力を感じる人も多いだろう。文章で表された食べ物の食感や味わいは、読者の食欲を刺激してやまない。
そんな「おいしい」小説が根強い人気を誇るのは、食事が生活する上で欠かせないものであり、どんな人にとっても身近なものだからだ。とりたてて食事にこだわりがない人でも、記憶をたどれば何気ない思い出と結びついている食べ物が一つは見つかるだろう。中には、幸せな記憶だけでなく、味のしないご飯のそっけない感触や泣きながら食べたときのしょっぱさを思い出す人もいるかもしれない。思い出の味を求めて色んなレシピを試す人がいるように、食事にはただ生きるためにするだけではない余白がある。
そんな「おいしい」小説の中から、今回はパン屋が舞台となる3冊を紹介したい。
湊祥『魔女は謎解き好きなパン屋さん』(ことのは文庫)
吉祥寺駅を出てすぐの場所にある、レトロな雰囲気のハモニカ横丁。大学進学を機に上京した凛弥は、おいしい匂いをたどって「ベーカリー・ソルシエール」を見つける。どこか懐かしい味わいのパンとともに凛弥が出会ったのは、ミステリアスな雰囲気を持つ店主・加賀見。初対面の凛弥が投げかけた謎もすぐに見抜いた加賀見は謎解きが好きで、客の悩みを魔法のように解決しているという。店名にちなんで「パン屋の魔女」として知られる加賀見に一目惚れした凛弥は、加賀見とともに日常の謎を追うことに……。
2月20日に2巻『魔女は謎解き好きなパン屋さん ―吉祥寺ハモニカ横丁の秘密の味―』が発売されたばかりの本作は、おいしそうなパンに彩られた日常の謎を紐解くライトミステリだ。
物語は、凛弥が初めて「ベーカリー・ソルシエール」を訪れたところから始まる。凛弥が何気なく選んだパンを一口食べた瞬間、パンを好きになったきっかけである懐かしい記憶を刺激される冒頭は、読者に心をつかむ食べ物に出会った瞬間を思い出させる「おいしい」小説の魅力が詰まったシーンだ。凛弥が懐かしさを覚える「ベーカリー・ソルシエール」のパンは、加賀見がもともとこの場所でパン屋を開いていた亡き両親から受け継いだ味であるという設定も心憎い。
ちなみに、このとき凛弥が選んだふんわりとした食感でほろ甘苦いミルクティーブリオッシュとカリッとした香ばしい生地に包まれたカレーパンは彼のお気に入りとなり、作中で度々リピートされている。おいしいパンと加賀見に惹かれた凛弥は足繁く「ベーカリー・ソルシエール」に通うようになり、大学の友人とその恋人の突然の別れや柔道サークルで面倒を見ていた子猫の失踪といった、日常に起こる謎と出会う。
物語は片想いを募らせながらも一歩踏み出せずにいる凛弥視点をメインに進み、次第に謎めいた加賀見の過去が明らかになっていく。なぜ彼女が加賀見と名付けられたのかが窺い知れる展開と、そこで凛弥が見せる活躍は必見だ。
2巻では、1巻で明かされた加賀見の過去を知る新たな人物が登場する。加賀見の旧友である俳優・光雅が持ち込んだのは、引っ越したその日にポストに届いたという脅迫状の謎だ。この謎解きを加賀見が引き受けたことには、彼女が両親を亡くした事故と、そのとき以来おいしく感じないままのパストラミサンドが関わっている。
作中には、ポンデケージョやクラミック、マイチバイやフルーリッサンといった知っているパンからあまり馴染みのないパンまで登場し、食欲をそそられること必至。本作に登場するパンは、食感や味わいだけでなく、いつ・どこで・誰と(もしくは一人で)食べたのかという記憶と結びつく存在として描かれる。何気ない日々の積み重ねが人の人生を作るように、ささやかな幸せを積み重ねていくおいしさの表現が心地よい。
鋭い観察力と推理力を持つ加賀見と、彼女に刺激を受けてあれこれと考えを巡らせる凛弥は、彼曰く「名探偵とおっちょこちょいな助手」めいた関係だ。加賀見は自分に寄せられる感情には鈍いと凛弥は思っているのだが、2巻ではその実一番鈍いのは彼なのでは? とクスリとさせられる変化も訪れる。
本作の魅力は、謎解きの根底においしいパンを食べたときに感じるささやかな幸せにも通じる優しさがあることだろう。ひやりとする展開もあるが、加賀見と凛弥の謎解きには「人を信じたい」と思わされる柔らかさがある。こうした物語に通底する優しさは、著者の持ち味でもあるのだろう。今から読む「おいしい」小説をお探しの方にぜひおすすめしたい、注目のシリーズだ。