『キングダム』信の“総移動距離”は5000kmを超える? 歩兵&騎兵の行軍がヤバすぎる

※本稿は漫画『キングダム』のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。

 史実に基づきながらも、オリジナルの脚色を織り交ぜて中華統一のドラマを描く漫画『キングダム』。現在のストーリーは秦と趙の戦争がメインで、戦争以外では訓練の状況や将軍たちによる軍議といった部分、内政や諜報活動などについて描かれている。しかし、戦場に赴く信(李信)らが実際に多くの時間を費やしている「行軍」については、到着や他部隊との合流程度しか描かれていない。

 行軍は戦争を語る上で欠かせないものであり、当然『キングダム』の舞台である中国だけでなく、世界中で様々な文献が残されている。日本の戦国時代で、行軍について有名なのが豊臣秀吉(当時の性は羽柴)の「中国大返し」。備中高松城(岡山県岡山市)から京都府の山城山崎間の230kmを実に10日で移動したというものだ。当時の平均的な行軍速度は1日に10〜15kmとされ、中国大返しの一日あたり23kmという記録は、歴史的な出来事として語り継がれている。

 日本の行軍を例にして挙げたが、中世ヨーロッパや中国大陸での行軍も平均は1日15km前後。この速度は、近代と比べても決して遅いわけではなく、19世紀の南北戦争におけるグラント将軍(アメリカ)が残した行軍速度の記録は1日当たり「16.9km」とされ、戦国時代から約200年経っても大きな変化は生まれていない。

 以上のことを踏まえ『キングダム』での行軍を考えてみたい。現在の中国の都市である咸陽市(秦の首都)と邯鄲市(趙の首都)は直線距離で約700kmある。直線で向かおうとすると、中華七国では魏を通過しなければならないため、一度北に逸れた約750kmの行軍が必要だ。東京から大阪の距離がおよそ500kmであることから、その距離の長さが想像できるのではないだろうか。

 1日の行軍距離を平均的な15kmとすると片道50日、帰りも合わせると3ヶ月を超える。さらに、この計100日の行軍と戦場での移動を、10kg以上ある鎧や自分の荷物を抱えていたとなると、現代では考えられないほどの苦行だろう。

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