【山岸凉子を読むVol.5】名作『日出処の天子』で苦しんだのは厩戸王子だけ? 歴史に埋もれる哀れな女性3選
阿倍毘賣
蘇我氏の跡取りとして毛人は妻を持つ必要がある。そのためもあって有力豪族の阿倍氏の娘、阿倍毘賣(あべのひめ)のもとに通うのだが、心やさしくおとなしい阿倍毘賣に対して毛人は恋心を抱くことはなかった。毛人は、最愛の布津姫に出会ってからはなおさら、ほかの女性のことを考えなくなり、恐らく阿倍毘賣のことも頭の中になかった。
阿倍毘賣は地味な容貌で影が薄いため、作中でも目立つことはない。彼女に関しては、毛人を愛する厩戸王子も警戒しておらず、終盤、必死の思いで毛人にすがる厩戸王子を毛人が突き放したとき、毛人の頭に浮かんだのは布津姫だけだ。彼にとって両天秤にかけた存在は、厩戸王子と布津姫なのだ。終盤の重要な場面なのだが、毛人も厩戸王子も阿倍毘賣のことは思い出しさえしなかっただろう。
最終的に阿倍毘賣は、布津姫と毛人の子どもである蘇我入鹿の戸籍上の母親になる。これは阿倍毘賣が毛人の正妻になったことをも意味する。しかし彼女の兄である阿倍内麻呂が何を狙っているのか危ぶんだ毛人によって、阿倍毘賣は月に何度かだけしか入鹿と会えなくなってしまう。毛人と自分ではない女とのあいだに子どもがいるだけでも辛いはずなのに、自分の手でその子を養育したいという阿倍毘賣のせめてもの願いすら叶わなかった。毛人は息子(入鹿)の将来の幸せと内麻呂のもくろみが気になって、阿倍毘賣の女心にまで考えを巡らせない。メインキャラクターに紛れて気づかれないが、阿倍毘賣もまた『日出処の天子』で忘れてはならない哀れな女性なのである。
なお、史実では蘇我蝦夷(毛人)の妻は誰か明らかになっていない。しかし本作における阿倍毘賣は、大化の改新の後に左大臣となる阿倍内麻呂の妹である。本作での内麻呂は、形式上、妹を蘇我氏と縁づかせながら、数十年後は蘇我氏と敵対する人物になるのである。
阿倍毘賣は史実にいなかったとしても、本作において重要な存在だ。
そして彼女を通して見えてくるのは毛人の残酷さだ。阿倍毘賣のもとに通っていたのに、厩戸王子に心惹かれ、最終的には布津姫に夢中になって、阿倍毘賣のことをすっかり忘れている。当時の男性にはよくあったこととはいえ、ほかの男性を愛することも許されず、毛人を待ち続けたおとなしい阿倍毘賣の悲しみも想像を絶するものだっただろう。
報われない愛に苦しむ3人の女たち
厩戸王子は49歳(数え年)で亡くなっていて、妻たちの生没年はさだかではないが、後日談を描いたスピンオフでは大姫や刀自古は既に亡くなっている。厩戸王子と毛人の関係が深まったのは50年近い厩戸王子の生涯のうちの、ほんの10年だった。その後を思い浮かべると、大姫と刀自古の人生はとても悲痛なものだっただろう。フィクションの人物である阿倍毘賣もまた、毛人に愛されないこと、阿倍氏と蘇我氏のあいだにはさまれたことで悩みが絶えなかったのは間違いない。なお、布津姫に関しては最愛の毛人と愛し合って子ども(蘇我入鹿)を作り、幸せに死を迎えたため、この記事では除外した。
厩戸王子は毛人と幸せになれなかったが、妻たちもまた厩戸王子や毛人の心ひとつで幸せになれたはずである。『日出処の天子』は女性にとっても残酷な物語であり、存在すらはっきりと記録に残っていない、彼女たちの心情を想像することができるという意味でも傑作だったのだとあらためて思う。
※初出誌
『日出処の天子』:「LaLa」(白泉社)1980年4月号~1984年2月号、4月号~6月号